【東京が生んだトップアスリート1】髙橋渚低迷していた女子走高跳で“気持ち”を武器に世界に挑む

東京高出身の髙橋渚(センコー)は女子走高跳で、昨年の東京世界陸上、今年のアジア大会と2年連続日本代表入りしている。23年以降シーズン日本1位記録(タイ記録を含む)を続け、昨年2月には1m92と39年ぶりの室内日本新をマークした。この種目は前室内日本記録保持者の佐藤恵(当時ミズノ)が、1992年バルセロナ五輪で7位になったのが日本人最後の入賞で、2000年シドニー五輪の太田陽子(当時ミキハウス)と今井美希(当時ミズノ)が五輪最後の出場となっている。髙橋の1m92は日本人選手としては2013年の福本幸(当時甲南学園AC)以来12年ぶりの1m90台で、世界陸上出場も福本以来12年ぶりのことだった。長らく世界との差が大きかった種目で世界に挑む髙橋の、成長過程と特徴を紹介する。●苦しんだ昨年の東京世界陸上前

 昨年9月に国立競技場で開催された東京世界陸上。決勝には進めなかったが、髙橋は地元の声援を背に1m88の自身セカンド記録と健闘した。

 だがその4カ月前、5月のアジア選手権は1m80で8位と絶不調だった。当時、どんな状態だったのだろうか。

「心がどん底で、アジア選手権は出たくないくらいでした。2月に1m92を跳んだことで、1m90台を安定させないとその先はない、っていう考えに苦しめられてしまっていました。失敗しちゃいけない気持ちが強くなり過ぎていたんだと思います」

 髙橋はそれまで、自己記録に近いレベルで安定して跳べることも特徴だったが、昨年7月の日本選手権は1m84で2位、8月の富士北麓ワールドトライアルは1m78で2位。

「一度わからなくなってしまったら、どう立て直したらいいのかわからず、醍醐奈緒美コーチと2人で苦しんでいた時期でした」

 そうなると動きの狂いが色々なところに出てしまい、ポイントを絞って修正することが難しくなる。

 しかし1m85で優勝した8月の実業団・学生対抗から、少しずつ感触を取り戻し始めた。1m92は反発の強いカーボン入りのスパイクを履いて跳んだが、シーズンが進むに従って体重が少しずつ落ちていた。

「結構踏んでいく助走のはずなのに、踏む前に跳ね返される感覚があったので、カーボン入りのスパイクを使うのをやめたんです。実学の頃から少しずつ上向き始めました」

 スパイクの変更が調子の上向く直接的なきっかけではあったが、それよりも気持ちが大きかったと髙橋は言う。

「途中で助走を変えたりもしたんですが、やっぱり自分本来の助走で行きたかった。変えられるのはスパイクだったんです。本当にスパイクが不調の要因だったのか、実際のところはわからないのですが、心がもうどうしようもなかったので、スパイクを変えることで前向きに世界陸上に挑めたのだと思います」

 開催地が東京だったことも、決断する髙橋の背中を押した。「自分でつかみ取った世界陸上が東京に来るのに、こんな気持ちじゃダメだっていうことで決めました」

 髙橋は1m88のクリアが3回目で、世界陸上日本人初の決勝に行くことはできなかったが、1m88を1回目に跳んだ選手まで決勝に進むことができていた。

「(決勝も」行けなくはないんじゃないかと、この舞台でそう感じられたことが本当に大きいと思います。ブレないで、決勝に出るために頑張り続けます」

 髙橋にとって、決意を新たにした地元の世界陸上になった。

●中学で走高跳に出会い、日本記録保持者の指導者がいる東京高へ

 髙橋は中学ではバドミントン部だった。授業や運動会で走高跳に出場していたことが、陸上部の河野保子先生の目にとまった。

「もう全中(全日本中学選手権)の後でしたが、区の大会に出場して1m55で優勝し、都の大会(東京都中学校支部対抗選手権)につながって1m62で優勝しました」

 14年の中学リスト27位タイの高さを、バドミントン部の髙橋がクリアしていた。

「河野先生が高校で陸上競技をやるのなら、と探してくださって、当時日本記録(2m33)を持っていた醍醐直幸先生が教えてくれる東京高があることを知って、見学に行ったことが本格的に陸上競技を始めるきっかけでした」

 東京高は11年にインターハイ男子総合優勝、12年には女子総合優勝をした強豪校。髙橋が入学した15年には女子4×100mRで、今も残る高校記録(44秒48)を打ち立てた。髙橋は1年時こそ1m62と伸び悩んだが、2年時に1m72、3年時に1m78と記録を伸ばし、3年時にはインターハイとU20日本選手権の2冠を達成した。

「最初はインターハイなんて考えられませんでしたが、同学年でも全国大会に出ている人もいっぱいいて、少しずつ私もこうなりたいと思える環境でした。しかし一番は醍醐先生が基礎をみっちり見てくれて、一緒に作り上げてくれたことです。自分は誰よりも良い環境で練習していて、だから結果を残さないといけない、と思いながらできたことが一番大きかったと思います」

 日大でも醍醐直幸コーチの指導を受け続け、1年時の日本選手権は2位、自身初の1m80にも成功した。しかし大学1年のシーズン終了後に髙橋は、「私が醍醐先生に寄りかかりすぎていた」と醍醐直幸コーチから離れる決断をした。高校生への指導の時間を、自分に割いてもらうことが申し訳ないと感じていたし、大きな試合で力を発揮するためにも、練習も行動も自分でコントロールすべきだと考えたのだ。

●醍醐奈緒美コーチとの二人三脚で日本代表に成長

 だが4年間の学生競技生活は不完全燃焼で終わった。インカレのタイトルは取ったし、自己記録に近い高さは跳べていたが、新型コロナの感染拡大もあり自己記録は1年時の1m80を更新できなかった。4年時の日本選手権で4位(1m73)に終わった時に、「何かを変えないといけない」と強く感じた。昨年の世界陸上前と似た心境だったのかもしれない。

「ケガも治して絶好調だったのに、思った力が出せませんでした。最終学年なのに記録も良くないし、”このまま終わりたくない”と強く思ったんです」

 髙橋は醍醐奈緒美コーチの指導を受け始めた。醍醐直幸コーチの妻で、現役時代は三段跳で日本トップレベルの選手だった。東京高のスタッフとしても、多くの高校生を全国レベルに導いた指導者だ。

「高校の頃に飛田先生(醍醐奈緒美コーチの旧姓)が、女子選手の体について細かく話をしてくれました。バランスのことや、ここの筋力が弱くなりがちだ、ということなどです。飛田先生に一から見てもらいたい、と日本選手権が終わってすぐに思いました」

 そこから髙橋は、日本のトップへと成長する。実業団1年目の22年に1m84、23年に1m85、24年に1m88と記録を伸ばし、昨年ついに1m92と大台に乗せた。

 もちろん醍醐奈緒美コーチは夫の醍醐直幸コーチに髙橋のことを相談するし、醍醐直幸コーチが髙橋の跳躍練習を見て、目指すべき跳躍を考えることもある。その跳躍を可能にするための基礎体力のつけ方や、細かい技術を髙橋と相談しながらトレーニングを進めてきた。

●「金メダル」に気持ちを定められたアジア大会

 今年のアジア大会(女子走高跳は9月29日に決勝)の目標を髙橋は、「1m90以上を跳んで優勝すること」と明言している。

 昨年の世界陸上前と同じように、今シーズンも1m84~86の試合が続いている。踏み切り脚(左脚)のふくらはぎのケガの影響で4~5月に技術面の練習が不足したこともあり、「冬期でアップしたスピードと筋力に技術がまだ合わせられていない」と髙橋は感じている。

 醍醐奈緒美コーチは「感覚が変わってきている部分」がそう感じる理由だと見ている。

「1m90以上を跳ぶための筋力と走力を付けてきましたが、1m80台中盤の跳躍の感覚が染みついています。選手にとってはその方が気持ち良くて、その感覚に合わせた動きが出やすくなるんです」

 しかしスパイクは、昨年と違ってカーボン入りを履き続けている。昨年のように迷った時期がないのは、「助走が今、すごく安定している」からだという。

「踏めなかったり、反発が返りすぎている感覚がなくて、使いこなせるんじゃないか、と自然に感じています。コーチとの会話でも、カーボンなしでやってみようか、という会話は一切出ていません」

 昨年は醍醐奈緒美コーチと話し合っても、なかなか対策を見つけられない時期があった。今年も7月の海外遠征の試合中の対処法で意見の食い違いが生じたが、日本からオンラインで跳躍を見ることによって生じたことだと、8月に一緒に遠征して解決した。

 9月13日の全日本実業団陸上(1m85で優勝)では、「去年からスピードを生かしきれてなかった部分が、やっとハマり始めました」と手応えも得た。8月8日のトワイライト・ゲームス(1m85で優勝)ではまだ、「アジア大会では1m90以上を跳びたい」と、自身の希望を話すような感じだったが、9月に入って明確に「金メダルを取りたい」とコメントするようになった。

「(昨年、今年と)無理矢理前を向いていた時期もありましたが、今は自分の跳躍ってこうだよな、っていうのが戻ってきました」

 1m92を跳んだ後、記録的には停滞している。悩んだ期間もあったが、気持ちを立て直すことで競技成績の落ち込みを防いできた。その間、基礎的な力は明らかにアップしているし、技術的な部分でも対処法を増やしてきた。

 醍醐奈緒美コーチは言う。

「2年間、上手く行かなかったところもありましたが、1m96の日本記録に挑んでいく完成形が見えてきました。アジア大会でスカッとした流れにできればいいですね」

 アジア大会の金メダルで髙橋の気持ちがまた大きく変われば、さらなる飛躍が期待できる。

今年のトワイライト・ゲームスの髙橋

左から醍醐奈緒美コーチ、髙橋、醍醐直幸コーチ

【執筆者】 : 寺田辰朗         寺田的陸上競技WEB