男子三段跳は小川が15m73で優勝。常識外の成長過程で大卒5年目に16mジャンパーに
東京選手権は4月25~27日に駒沢オリンピック公園総合運動場で行われた。初日の男子三段跳は小川宏海(MAX)が3回目に15m73(±0)を跳び、2位の田中宏佑(AD損保)に47cm差で快勝した。小川は国士舘大ではインカレ出場が一度だけで、自己記録もそれほど高くなかった。だが毎年自己記録を更新し、卒業後5年目に16m突破を果たした。異色とも言える成長過程を紹介する。
●競技継続理由の1つは国士大の先輩たち
高校、大学時代の小川宏海の競技実績から、16mジャンパーへの成長を予想することは難しかった。
千葉県東金高ではインターハイに出場したが予選落ち、国士舘大時代に出場したインカレは、4年時の関東インカレ一度だけだった。学生時代の自己記録は15m41である。
「関東インカレは追い風参考でしたが15m92(+5.4)を跳んで5位だったので、日本インカレの標準記録が跳べなかったことは悔しかったですね。一般企業に就職してフルタイム勤務で競技を継続したのは、卒業して3年間頑張るくらいしないと、満足してやめられないと思ったからです。できれば高校記録の16m10(当時)を跳びたいと思って続けました」
国士舘大学の先輩たちの存在も、競技継続に気持ちが向かっていけた要因だった。
「十種競技日本記録保持者の右代啓祐さん、やり投で何度も日本代表になられた新井涼平さん、円盤投日本記録保持者の堤雄司さん。三段跳では自己記録16m40の角山貴之さん。社会人になっても夢をあきらめず、記録向上とトップで戦い続けることが、大学の風土としてありました」
大学卒業後は“毎年自己新を出す”ルールを自身に課した。それができなかったら引退することにしていたが、シーズンベストは1年目15m49、2年目15m61、3年目15m79と自己記録を更新し続けた。
3年目に日本選手権出場を1cm差で逃したときに「フルタイム勤務では難しい」と感じ、そのときから休職している。八王子のクラブチームのコーチと、体育の家庭教師の仕事を意欲的にこなすことで競技活動と生活を両立させている。
4年目に15m89を跳ぶと、5年目の23年6月の千葉県選手権で16m25と、ついに大台に乗せた。「三段跳選手は必ず出したいと思っている記録」と、達成感はあった。
23年の日本リスト4位の記録で、前年に16m13になっていた高校記録もしっかりと超えた。8月の関東選手権で二度目の16m台(16m16)をマークし、田島記念や富士北麓ワールドトライアルなどグランプリ大会でも上位の常連になっていった。
●記録の次は日本選手権の入賞が目標に
23年に16mジャンパーの仲間入りは果たしたが、「22~23年の日本選手権と国体は4大会ともトップエイトに残れませんでした。高校・大学から活躍している選手と自分では、大舞台での強さが違う」と痛感した。
24年は腰を痛めたためシーズンベストは15m76にとどまり、初めて自己新を出すことができなかった。卒業後3年間で自己新が出なかったらやめるつもりだったが、今の小川は考え方に変化が生じている。「日本選手権がダメだったことがモチベーションになっている」と言う。
「4年目に日本選手権にも出場できて、日本のトップを決める戦いの雰囲気を楽しむことができました。そこで力を発揮できないことが嫌で、“もう1回出よう”と」
日本選手権男子三段跳の出場選手枠は20人。そこに入るために、出場資格記録(24年1月1日以降の記録)を上げておく必要がある。小川は昨年6月の15m76が資格記録になるが、今のままでは20人枠に入れないかもしれない。
「(東京選手権の)15m73は今年2回目なんです。もう少し跳んで資格記録を上げたかった。有効期間の6月11日まであと4試合。世界陸上が9月になったことで、学生の大会もシーズン前半に多くあるので危機感を持っています」
目標である日本選手権入賞を果たしたとき、「満足と思うのか、もう一度と思うのか、自分でもわからない」という。まずはその判断をするときを、作るために全力を尽くす。
●砂場がなかった練習環境が今に生きる
学生時代に日本インカレや日本選手権に出場できなかった悔しさも、競技継続の理由だった。だがそれと同じくらい「三段跳はできることがいっぱいあって面白い」と感じられたことも大きなモチベーションになっていた。
面白いエピソードがある。
高校時代、砂場がない環境で小川は三段跳を始めた。それでも3年時にはインターハイ千葉県予選に優勝した。
「2年生まで着地する練習はできませんでした。その代わりではありませんが、ミニハードルを等間隔に置いて、ひたすらバウンディングをやっていました」
100mは11秒33が自己ベストで「スピードが全然ない」と自覚している。高校時代は12秒台で、「100mの記録会に出たとき、県大会優勝者で自己記録が12秒台とアナウンスされて、場内に笑いが起きました」とネタにしている。
スピード不足をカバーしているのが「誰から見ても綺麗な跳躍フォーム」である。「水切り石のようにブレーキがかからず、前に跳び出していくことができます。高校時代にバウンディングをやり続けたことが生きていると、自己分析しています。8年連続で自己記録を更新できたのは、走力が上がれば三段跳の記録が伸びたからだと思います。走ることへの理解が、年齢が上がって深くなってきましたね。僕が100mを10秒台で走るようになったら、16m50以上を跳ぶ選手になれるかもしれません」
30歳のシーズンが始まるが、小川にはノビシロが十分ある。