【アジア大会で輝いた東京勢③】今泉堅貴 男子4×400mR3走で12年ぶりの金メダル。44秒09のラップでリレー代表に欠かせない存在に

 アジア大会の陸上競技が9月23~29日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアムをメイン会場に行われた。29日の陸上競技最終種目の男子4×400mRでは、日本が3分00秒75で優勝。雨という悪コンディションもあり大会記録には0.19秒届かなかったが、アジアのライバルであるカタール、インドとの戦いを制し、12年ぶりに金メダルを獲得した。

 日本チームの3走が東京陸協登録の今泉堅貴(内田洋行AC)で、トップでバトンを受けたバトンをトップでエースの中島佑気ジョセフ(富士通)に渡し、しっかりと役割を果たした。日本の4×400mRに欠かせない選手に成長した今泉とはどんな選手なのだろうか。

●カタール、インドとのアジア3強決戦を制した日本

 アジア大会は不思議な大会でもある。下位入賞のレベルは低くとも、上位は世界大会でも入賞できる種目がある。男子4×400mRもそんな種目の1つで、6位はインカレでも3位に入れない記録だが、上位3カ国は近年の世界大会で入賞してきた。22年オレゴン世界陸上では日本が4位、23年ブダペスト世界陸上ではインドが5位、24年パリ五輪では日本が6位、そして昨年の東京世界陸上ではカタールが5位に入賞した。

 その激戦で日本が2走の林申雅(筑波大4年)でトップに立つと、3走・今泉、4走・中島とトップを譲らず金メダルを獲得した。2走の林から1m前後の差でバトンを受け、カタールからは絶好の目標とされる位置で走ったが、自分の走りをしっかりしてトップを走り続けた。

「自分が1人で行かなければいけない状況でも、腹をくくって先頭を走りました。(初日の男女混合4×400mR予選、前日の男子4×400mR予選でも好走し)大会を通じで良い調子で来られていたので、自信を持って走ることができましたね」

 今泉は44秒09(主催者発表)のラップで、判明しているなかでは22年以降の日本チームで4番目の速さだった。

「これまでの(自身の)ラップで一番速いです。今季は良い練習ができていたのに春先に足底を骨折をしてしまい、悔しいシーズンの迎え方をしてしまいました(6月の日本選手権は5位)。このアジア大会で、なんとか返り咲きたい気持ちで準備をしてきました。それがタイムに結びついたことはうれしいですし、今回得られた感触を忘れずに来年以降につなげていきたいと思います」

 表彰台では「素晴らしい景色。君が代が流れてグッとくるものがあって、歴代の金メダリストの皆さんもこういう気持ちで聞いたんだなと」と、これも今後のモチベーションにつながる経験をした。

●成長のきっかけは大学2年時。「同期と知恵を出し合いました」

 今泉は福岡大附属大濠高3年時の19年に、インターハイ400mで5位に入賞した。高校時代の自己記録は46秒92で、19年の高校リストでも5位。筑波大1、2年時は新型コロナ感染拡大で活動が大変だった時期だが、47秒73、47秒86とシーズンベストは高校3年時より大きく落としてしまった。

「練習を継続できなかったことが一番の理由です。ケガをして、リハビリをして、またケガをしての繰り返しでした。その頃代表はまったく意識できなくて、高校時代に出した46秒台に近づかないといけないな、という思いで競技をしていました」

 しかし3年時に46秒22と自己記録を更新すると、4年時には45秒54(当時学生歴代9位)を筆頭に45秒台を連発した。2年時に大学生としての練習スタイルを確立したことが大きかったという。

「チームメイトに恵まれたことが一番大きかったと思います。速くなるためのロードマップをまず描いた上で、大事なことを1つ1つ潰していくことを初めてやったシーズンが大学2年でした。研究という抽象的なものから、自分たちの練習メニューに具体化する。同期と知恵を出し合って、そのベースを養えたのが大学2年生の頃でした」

 筑波大では学生が練習メニューを立案し、指導者はそれを手直しする形で練習を進める。「指導者に頼りすぎない」ことも選手たちは意識しているという。

 代表入りについては「大学3年でやっと背中が見えてきた」という。「大学3年の後半にはコンディションが揃えば45秒台も出ると感じていたので、大学4年では代表に入ることを意識して取り組みました」

 シニアカテゴリーの代表は、大学4年時(23年)7月のアジア選手権4×400mRが自身初。同年のブダペスト世界陸上も、出場はできなかったが代表入りした。24年5月の世界リレー選手権、25年9月の東京世界陸上、今年5月の世界リレー選手権、そして今回のアジア大会と、日本の4×400mRに欠かせない選手に成長している。

●来季の目標タイムは44秒76とラップの43秒台

 しかし今泉は、個人種目ではまだ代表入りしたことがない。近年は中島、佐藤拳太郎(富士通)、佐藤風らが代表を続けてきた。以前は「上3人」と感じながら走ってしまっていたという。だが、昨年の日本選手権では佐藤風と0.01秒差の2位。「200mまで楽に行って、300mまでもペースを落とさずにキープして、ラスト100mも耐えるプランを立て臨んで、それが少しは形になった」と、自身の走りに合格点を出した。

 だが今年の日本選手権は、春先の疲労骨折からの回復途中で5位。アジア大会400mの代表を逃してしまった。個人の代表入りや、4×400mRでさらに上を目指すためにも、今泉は速さと強さを交互に研いている。

 今泉は強さの一つの要素を、「雑に速くなること」と意外な言葉で説明した。

「海外の試合は運営が大雑把で何があるかわからないし、どんなグラウンドかも行ってみないとわかりません。日本のような温室(恵まれた環境)ではないので、ストレスが多くても45秒台半ばは最低でも出せる力を身につけたい。選手として強くある必要があると、初めて世界リレー選手権に出たときから感じています」

 大学時代は「速くなりたい」と速さを求め、社会人になってからは「いつでも速い強さ」を求めた。そしてある程度強くなるとまた、「速さが足りない」という循環になる。

「地力はついているのに44秒台がまだ出せていない。自分では“くすぶっている”という評価です。まずは記録を出していくことを大事にして、44秒台をもって4×400mRに臨めばリレーでももっと強気に走ることができます。この冬は速さを研くことを大事にしていきます」

 そのきっかけを、自身最速ラップの44秒09で走ったアジア大会でつかんだ。

「今年も400mでは44秒台を出すつもりでした。2月半ばに45秒台(45秒98)が出たので、いくだろうと思っていたときに足底を疲労骨折して、練習を中断して出せなかった。来年はやるべきことをやって、具体的には44秒76を出したいですね」

 まずは佐藤拳が23年に出した前日本記録の44秒77を、0.01秒でも上回りたい、という意味だ。同学年の中島が持つ44秒44の日本記録は、それをクリアした後に目指すことになる。

「(44秒76の)目標はぶらさずにやっていきたいですし、そのタイムを持っていれば4×400mRでも43秒台のラップタイムを狙っていけます」

 東京五輪以降の日本チームで43秒台のラップは、22年オレゴン世界陸上3走のウォルシュ・ジュリアン(当時富士通)の43秒91だけである。

 シーズン前半はケガに苦しめられたがアジア大会4×400mRで快走したことで、今泉が世界に向けて大きく前進する態勢をしっかりと整えた。

【執筆者】 : 寺田辰朗         寺田的陸上競技WEB