攻玉社中学校・高等学校出身の林明良(慶大4年)は、6月の日本選手権男子200mで2位に入り、現在名古屋で開催中のアジア大会代表にも選ばれた。林は高校までは全国的には無名選手だった。慶大で大きく成長し、大学4年になった今季、日本トップレベルの選手に成長した。追い込んだ練習をしなかった中高時代から、慶大で日本代表まで成長したプロセスを紹介する。

全日本実業団陸上男子4×100mR(9月11日)では、オープン参加した日本チームの4走を務めた林
●日本選手権2位&アジア大会代表入り
日本選手権の快走は見事だった。
林は9レーン。8レーンの水久保漱至(宮崎県スポ協)が100m付近で明らかにリードを奪い、後半も後続を引き離した。林も直線に入った地点では2位争いで半歩先行し、水久保には差を広げられたが、2位争いをしていた選手たちを直線で引き離した。優勝の水久保が20秒14(+0.6)、2位の林は20秒59、3位の重谷大樹(グリーンクロス)が20秒79だった。
しかし走り自体は、予選の方が印象に残っているという。20秒36(+0.5)の学生歴代8位、自己記録を0.30秒も更新した走りだ。
「予選はスタートで少しつまずいてしまいましたが、それ以外は綺麗な流れでカーブを走ることができ、直線も水久保さんに引っ張られる感じで20秒48のアジア大会派遣設定記録も突破できました。うれしかったですね。決勝は直線に入る前にバランスを崩してしまって、上手く直線に入れませんでした。それでも最後まで綺麗に走り切ることができて、表彰台に乗る目標を達成できたのでよかったです」
スタートの失敗が致命傷に至ることもあるが、日本選手権の林はそこまで全体の走りに影響しなかった。特徴である後半の強さを、より生かすことができ、記録的な目標を達成した。
成長過程は後ほど改めて紹介するが、昨年までの自己記録は20秒83(+0.3)で、今年5月の関東インカレ優勝時に20秒66(+0.4)に縮めていたが、一気に20秒36まで短縮したことには驚かされた。
林自身は「結構ビッグマウスで…」と笑いながら説明する。「自己記録が20秒6台だった時も、20秒3台を出すと言って周りは『え?』という反応でした。実際に20秒3台を出すことができましたが、日本選手権がピークという感じはありません。日本記録(20秒03)もいつか塗り替えたいですし、日本人初の19秒台も出したいと思っています」
林を指導する慶大の高野大樹コーチによれば、日本のトップまで成長することは「大学3年まではまったく思っていなかった」と言う。「今年の関東インカレ前後からですね。もしかしたら日本選手権に勝ってしまうかもしれない、と思い始めたのは。林に『何か変えたの』と聞いたら、『変えていませんが、2~3月の合宿で高野コーチが走りの理論を整理して話してくれた時に、すべてがつながった感覚があって、そこから急激に変わったと思います』と言っていました」
林はどういう過程で、走りへの考え方を深めてきたのだろうか。

Athlete Night Games in FUKUIの100m(8月14日)では10秒21(+1.9)の自己新
●“小さな校庭”で練習した中高6年間だが、野性的な側面も
林は品川区にある中高一貫校、攻玉社中学校・高等学校の出身。中学3年時の19年には22秒66(-0.9)がシーズンベストで、その年の中学リストで115位。全日本中学選手権に出場したが予選を通過できなかった。高校3年時の22年はシーズンベスト21秒60(-0.4)で、その年の高校リスト89位。インターハイ路線は100m、200mとも南関東予選を通過できなかった。
攻玉社は東大に10人以上の合格者を出す進学校で、陸上競技に力を入れている高校ではない。
「競技場を使う練習は週に1回程度。小さな校庭で補強みたいなことを、6年間やり続けていた感じです。走り(の結果)にあまり執着しないで、楽しく部活動をしていました」
少し大げさに話したのかもしれないが、追い込んだ練習をしたり、結果にこだわったりした取り組み方ではなかったのだろう。
しかし当時から、得意としていることがあったという。「速い選手、色んな選手を見て、良い動きを見つけて取り入れていました」。
高野コーチも林に、その能力があると感じている。
「自分に足りない部分を、こうしたらいいんじゃないか、と他の人から盗んで来ることが思考の出発点としてある選手です。自分なりの走りの理論を考え抜いて作り上げていく選手も慶大には多いのですが、林は直感で真似してみようと考えて行動します」
東京という都会で育った林だが、高野コーチは「野性的な勘を持っている」と感じている。
●高野コーチのもとで日本代表に成長
23年に慶大に入学し林の成長が加速する。
「細かい走りの技術は高野コーチと出会って、0から作り直す感じで丁寧にやってきました。自分の動きでどうしたらタイムを伸ばせるか、突き詰めて考えるようになりました」
高野コーチ自身は日本トップレベルの競技実績は持っていないが、理論派で知られる指導者である。パラ陸上競技の高桑早生選手の指導からスタートし、21年東京五輪には男子100mの山縣亮太(セイコー)、女子100mHの寺田明日香と、指導する2人の日本記録保持者が出場した。
林のことを“野性的”という評価をしているが、林自身は理論派のコーチから走りの理論を吸収して成長を始めた。その過程で、他の選手よりも“野性的”な部分がクローズアップされた。
4年間を近くで見てきた高野コーチは、林の成長を次のように説明している。
「2年時に20秒88(+1.2)と、1年時の21秒48(-0.6)から一気に記録を伸ばしました。これは練習することに貪欲だったからだと思います。当時三輪颯太(現小泉AC。100m10秒14。今年の日本選手権8位)、豊田兼(400mH47秒99の日本歴代3位。パリ五輪代表)ら、種目は違っても学生トップ選手が慶大にいて、『豊田さんが4本なら僕は5本行きます』と、練習をたくさんすることで一番大きな伸びがありました」
2年時に関東インカレで4位に入賞するまでに成長したが、3年だった昨年は「スランプ」(林)に陥る。関東インカレ、日本インカレとも準決勝止まり。日本選手権は予備予選を通過できなかった。高野コーチの話を総合すると、考えすぎた側面もあったようだ。
「理論の解像度が上がったのに上手くいかず、僕の理論を真に受けてやるだけでは上手くいかないと気づいたのだと思います。それまでとは違うこともやって、ケガもしてしまった。しかしその過程を経たから、こうやったら上手くいかないと理解できたのでしょう。試行錯誤をした半年間だったと思います」
秋には復調して10月には20秒83(+0.3)の自己新で走り、その流れで冬期練習を順調に行って今季のブレイクにつながった。
7月のダイヤモンドリーグ・ロンドン大会に4×100mR日本チームの一員として遠征。出場はしなかったが「強い選手の動きだったり、アップだったり、試合もそうですけど、すごく色々吸収することができた」と収穫は大きかった。9月の全日本実業団陸上には4×100mR日本チームの4走を務めた。そしてアジア大会と、日本代表として初めての国際大会に臨んでいる。
「大学に入学した頃はここまで来られるとは思っていなかった、というのが正直なところですが、(アジア大会開催の)タイミングもよかったと思います。学生最後に日本代表としての経験ができて、社会人になっても思い切り競技にコミットできます(責任を持って全力で打ち込める)」
慶大の4年間で成長した結果がアジア大会代表入りで、そこでの経験が林をさらに、ワンランク上のレベルに押し上げそうだ。

今年の関東インカレ200m(5月24日)では林(右)が20秒66(+0.4)の当時の自己新で初優勝。左は濱椋太郎(法大)で東京出身選手がワンツー
【執筆者】 : 寺田辰朗 寺田的陸上競技WEB

