今年の高校日本一を決めるインターハイの陸上競技が7月30日から8月5日まで、滋賀県彦根市の平和堂HATOスタジアムで開催された。大会3日目の女子やり投では、インターハイ初出場の新井里奈(南多摩中等高3年)が2回目に45m32を投げて4位に入賞した。新井はこの夏の甲子園東京都予選では、ノッカーでベンチ入りした野球部員。規則で高校の公式戦には出場できないが、練習試合では内野手と投手で男子と同じ試合に出場してきた。卒業後は野球一本に絞る予定で、インターハイが陸上競技最後の試合のつもりで臨んでいた。「勝っても負けてもここで終わり。プレッシャーなく吹っ切れて投げることができました」。満足した表情で入賞者の表彰台に上がっていた。

●インターハイ直前に硬いやりに変更
プレッシャーはなかったが、やり投にも本気で取り組んできた。だからこそ、競技後には「悔しい」という言葉が最初に口に出ていた。
「トップエイトに3位で進んで、メダルが見えていましたから、悔しいところもあります」
しかし強かったのは、メダルではなく入賞への思い。昨年秋(10月)のU18大会は41m47で9位、1m02の差で入賞を逃した。昨夏のインターハイは南関東予選8位で、6位選手とは僅か53㎝の差で全国大会出場を逃していた。
「去年から全国で入賞することを目標にやり続けてきて、今年こそ絶対に入賞しようという目標で臨みました。ただメダルが見える順位にもなれるとは思っていなかったので、完全に満足ではありませんが、良い投げができたんじゃないかな、と思っています」
高1秋に40m23を投げ、昨年は41m以上を安定して投げていた。シーズンベストが42m93の昨年は、伸び悩みといえたかもしれない。今年も41m台が続き、6月の東京都高体連第5・6支部学年別大会で44m64を投げたが、5日後のインターハイ南関東予選は42m04で5位。全国で入賞争いができる、とは言い切れないレベルだった。
殻を破ったのは7月18日の国民スポーツ大会東京都代表選手選考会。45m25を投げ、その時点で今季高校リスト10位にまで浮上した。リスト5位から12位までが45m台で、新井にも入賞の可能性が出てきた。
「初めて硬いやりを投げてみたら記録が伸びたんです。その試合はやりの種類が少なくて、自分が使っていた種類のやりが1本しかなくて、それも投げたらすごくしなってしまいました。それで思い切って試したら保持もしやすくて、すごく投げやすかったんです。硬いやりを使いこなす技術を発見したというより、自分に合っているやりを見つけられた、という感じでした。インターハイもこれで行こう、と思いましたね。同じやりを持っている先輩の大学に練習に行かせてもらったりして、レベルの高い記録をインターハイ前に安定して投げていたことが良かったのだと思います」
インターハイの僅か2週間前。新しいやりとの出会いが新井を4位入賞に導いた。

●“二刀流”はどのように両立させてきたのか
新井の“二刀流”は色々な運に恵まれてのことだったが、中高一貫校ということも大きかった。
新井は小学校から野球を始め、中学では男子に混じって内野手と2番手投手として公式戦にも出場する選手だった。小学生年代なら男女差は小さいが、中学ともなれば筋力的には男子の方が勝る。しかし新井は気にしなかった。
「男子女子ではなく、一(いち)対戦相手として普通に戦っていました。球速は最高で110kmでしたが、コントロールには小さい頃から結構自信があって、投げ分けとかで抑えていました」
しかし中学3年の夏の大会が終わると、新井はジャベリックスローの試合に出場した。陸上競技部と硬式野球部の顧問同士が話し合い、練習も週に2日陸上競技部で行うようになった(野球部で週4日)。
「ジャベリックスローは東京の大会でも7位くらいでしたが、兼部という形で両方の練習をするようになりました。中高一貫校なので、中3の秋から高校で入りたい部活で活動することができたんです。高校では野球の公式戦に出られませんが、女子の試合に出ようとは思いませんでした。中学からの仲間たちと一緒にやるのが楽しかったからです。公式戦は陸上競技で出られましたし、野球は練習試合でもいいかな、と思って」
好きな野球をやることは当たり前のこと。その一方でやり投の才能が開花するのも、新井の資質からすれば当然の流れだった。1年生の秋には、東京都新人戦に前述の40m23を投げて優勝したのだ。
「野球とやり投ではやはり違うので、それまでは投げ方がわからずなんとなくで投げていました。当時の陸上部の先生に『野球のバックホームのように、ライナーを投げるように(やりを)投げてみろ、と言われて投げたら記録が伸びたんです。そこから少しずつコツをつかんで、東京都の合宿などにも呼んでいただけるようになりました。色々な先生方に教えていただき、知識を吸収してどんどん記録が伸び始めました」
客観的に見れば2年時は伸び悩んだように見えたが、新井自身には記録が伸びている充実感もあった。

<写真提供:新井里奈選手>
●野球は「夢」、陸上競技は?
野球の方に思い入れが強いのは当然だったが、サブ競技だからと、やり投に気楽に出場していたわけではなかった。
「高1秋の新人戦で優勝してからは、色んな高校の先生に覚えていただき、やり投の技術やトレーニングを教えていただきました。教えていただいた以上は結果を出して恩返しをしたかったですし、公式戦に出られるのは陸上だけでしたから、ある程度のプレッシャーを感じながら出場していました。その一方で、楽しむ気持ちももってやってこられました」
2つの競技に取り組むメリットもある。陸上競技でも2種目に取り組むことで、もう1つの種目からヒントを得たり、1つの種目が不調でも別の種目が好調なら、精神的に焦りを感じないで済むことがある。
「野球が上手くいっていない時にやりを投げてみたら飛んだり、逆にやりが飛んでいない時に野球の方では球が行ったりします。お互いが良い関係になって、ここまで続けて来られたと思います」
最後のやり投の試合を終えた新井に、彼女にとって野球とは何だったのか、やり投とは何だったのかを質問させてもらった。すぐに答えることができなかった新井だが、2日後に次のようなメールが届いた。
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私にとって野球は「夢」です。
女子という理由で高校では公式戦に出場することはできませんでしたが、それでも野球が好きという気持ちは変わりませんでした。チームのみんなと一つの目標に向かって頑張る時間が好きで、これからも野球を続けて、もっと上のレベルを目指したいと思っています。
私にとって陸上は「可能性」です。
やり投を始めたことで、自分でも知らなかった力や、新しい一面を知ることができました。野球は仲間と戦う団体競技ですが、やり投は自分自身と向き合う個人競技なので、考え方や競技への向き合い方も変わったと思います。また、陸上を通してたくさんの知り合いができて、競技が終わればライバルとも笑顔で話せるような環境は、野球とはまた違った魅力だと感じました。
野球は私がずっと追いかけている夢で、陸上は自分の可能性を広げ、新しい出会いや経験を与えてくれた競技です。どちらも今の自分にとって大切で、これからの自分につながるかけがえのない存在です。
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インターハイが終わって2週間。東京の国民スポーツ大会代表が発表され、代表選手のリストに新井の名前があった。“二刀流”の期間が2カ月ほど伸びたことで、どんな可能性が新井に広がっていくのだろうか。

【執筆者】 : 寺田辰朗 寺田的陸上競技WEB

