第110回日本選手権が6月12~14日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアムで行われた。女子400mHでは青木穂花(ゼンリン)が55秒92の日本歴代3位で優勝。昨年までの東京記録(56秒57)を予選で56秒49と更新すると、その勢いを続けた決勝ではアジア大会派遣設定記録(56秒16)を突破し、9月に名古屋開催のアジア大会代表に内定した。青木の母親の城土早穂子(当時福岡大)さんも1994年に日本選手権に優勝し、広島開催のアジア大会代表入りを果たした。学生時代に関東インカレには優勝していたが、全国大会では一度も勝てなかった青木。今季の躍進の裏には前半の走り方の改善と、後半の歩数変更があった。
●親子2代優勝
母親の早穂子さんはスタンドから声援を送っていたが、他にも色々な形で青木の背中を押していた。
「スタート前に場内アナウンスで母のことが紹介されて、ここで言われるのか、と緊張が大きくなった気がしますが、それも力に変えられて最後出し切ることができたのかもしれません」
その“最後”が青木に勝利を引き寄せた。前半から7レーンの梅原紗月(住友電工)が先行した。5台目では5レーンの青木を約1mリードしていた。しかし9台目でほぼ並ぶと、10台目は一瞬早く接地し、フィニッシュでは0.30秒差をつけた。
「梅原さんは前半もしっかり行かれる方なので、そこに惑わされたら自分の走りができないと思い、(中盤までは)自分のレーンだけ見て走りました。最後は引っ張っていただく形になり、それもタイムが出た要因になったと思います。予選は(9レーンで)前がいない展開で楽に走ることができたのですが、決勝は前に人がいても同じ力感で楽に走ることができました。そこが収穫の1つでした」
94年の日本選手権のレース展開は、当時の陸上競技専門誌によれば9台目を2人が並んで越え、そこから早穂子さんがリードを奪い逃げ切った。それに対して青木は、前述のように10台目からの走りで逆転優勝した。
「走り終わってもう少し出せるかな、という感じはありました。今回は10台目からでしたが、もう少し手前から上げられるようにしたら、日本記録(55秒34)にも近づくと思います。アジア大会で日本記録を更新できるように頑張ります」
早穂子さんのように、9台目からペースを上げるレース展開を目指す。
日本選手権親子優勝を果たした青木(左)と母親の早穂子さん
<写真提供:ゼンリン陸上競技部>

●後半の歩数の変更と前半の走り方の工夫
青木が日本選手権優勝を目指し始めたのは、青学大4年時の23年だった。日本選手権で57秒48と当時の自己新記録で走り、4位に入賞した。
「ある程度戦えるタイムになって優勝を意識し始めたのですが、なかなか決勝で戦うことができませんでした」
ゼンリン入社1年目の24年日本選手権は予選落ち。昨年は5月の静岡国際、木南記念と連勝し、木南記念では56秒93の自己新もマークしたが、日本選手権は7位と敗れた。今季は静岡国際(5位)、木南記念(13位)ともに58秒台と低迷した。
日本選手権までに不調を克服できたのは、6台目以降の歩数を18歩から17歩に変えたことが大きかった。
「静岡も木南もアップ時の調子は悪くなかったのですが、18歩では詰まり気味になってしまい、力を出せずに終わっていました。そこを17歩にすることで、最後の力を全部出し切ることができるようになったんです。東日本実業団(5月17日)に優勝(57秒84)したときに17歩で行く感覚がわかってきたので、日本選手権はどうなっても17歩で行くと決めました。脚がしっかり動いてくれましたね」
後半の17歩を可能にしたのは、400mの自己記録を3月末に54秒85まで更新したこと、そして前半の走り方を改善できたことが関係していた。
「東日本実業団くらいから、前半の走りを変えることができました。これまでは楽にと思っても、上半身だけを楽にして、脚は結構回していました。それを体(上半身)と脚のタイミングを合わせることを意識したら、楽に進むようになったと思います」
前半のスピードが以前より速くなっても余力を残せている。その結果後半のハードル間歩数を1歩減らしても、最後まで力を出し切る走りができるようになった。
55秒92は今季アジアリスト4位のタイム。53秒09のアジア記録を持つK・アデコヤ(バーレーン)は、シーズンベストも53秒67で別格と言うしかない。昨年の東京世界陸上で準決勝に進出し、予選で54秒63を出した莫家蝶(中国)も強敵だ。だが中国2番手の選手とは自己記録でも差がなくなった。早穂子さんが届かなかったアジア大会のメダルに、青木が挑戦する。
【執筆者】 : 寺田辰朗 寺田的陸上競技WEB

