日本選手権で躍動した東京勢【5】女子800m日本記録保持者の久保が3連勝&派遣設定記録突破でアジア大会代表入り。18歳が見せた成長とは?

第110回日本選手権が6月12~14日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアムで行われた。女子800mでは日本記録(1分59秒52)保持者の久保凜(積水化学)が2分01秒54で3連勝を達成。アジア大会派遣設定記録の2分01秒67も初めて突破し、アジア大会代表に内定した。冬期に故障があった久保は、シーズン初戦の木南記念(5月10日)で2分07秒47の6位と大敗。立て直してはいたが、予選の終盤でペースが落ちたことから、完調ではなかったことがわかる。過去2回の日本選手権と比較して、今年はどんな違いがあったのだろうか。

●予選と決勝でレース展開を変えなかった過去2年

 今年の久保は、予選と決勝でレース展開を変えて走った。

 上の表からわかるように、予選は日本記録だった昨年の日本選手権決勝を上回るペースで飛ばした。最後はペースダウンしたが、スタートからずっと先頭を走った。しかし決勝ではペースを抑え塩見綾乃(岩谷産業)の後ろを走り続け、残り30m付近で逆転した。

「予選みたいに1周目から自分で行く余裕、自信がなかったので他の方の力も借りて、ラストの部分でイーブンで(ペースの落ち幅を少なく)走るレースができたら、と考えていました。予選の時よりは脚が全然動いて、余裕はありませんでしたが勝ちきることができ、すごく良かったと思います」

 対照的に一昨年と昨年は、予選と決勝は同じレース展開だった。

 24年は4月の金栗記念、5月の静岡国際と木南記念と、グランプリ大会で3連勝していた。優勝候補ではあったが、まだ高校2年生で日本選手権は初出場。挑戦する立場だった。予選は1周目から自身が先頭に立ち400mは1分0秒台で通過。2周目のバックストレートで1500m日本記録保持者の田中希実(豊田自動織機。当時New Balance)と、卜部蘭(積水化学)の東京五輪1500m代表コンビに迫られたが、残り200mから差を広げてトップで決勝に進んだ。

 決勝は塩見と川田朱夏(ニコニコのり)が先行し、久保は400mを予選と同じ1分0台で通過。2周目のバックストレートで田中がトップに立つと、久保がすかさず田中を抜いて先頭に出る。最後の直線で卜部が2位に上がったが、久保は差を広げてフィニッシュした。

 800mの先輩選手や、800mが専門ではないとはいえ、日本代表選手たちに挑んだのが24年だったが、25年は日本記録保持者となって出場した日本選手権だった。5~6月のレースはほとんどが2分00~02秒台と、アベレージが前年より大きく上がっていた。予選も決勝もスタート直後からトップに立ち、一度もトップを譲らずフィニッシュ。決勝では2度目の日本記録更新を果たし、女王の貫禄を感じさせる走りだった。

●他の選手の力を借りたからこそ「もっと強くなりたい」

 それに対して今年は故障明けだったとはいえ、前述のように社会人デビュー戦で大敗していた。3週間後のMDCで2分02秒76(優勝)と復調し、練習もしっかりできるようになってはいた。だが日本記録ペースで飛ばした日本選手権予選は、最後で「脚が動かなかった」。

 そこで今年は、決勝では予選と違う展開をする判断をした。トレーニングを行うTWOLAPS TC・横田真人コーチからのアドバイスだった。

「予選が終わって自分が不安っぽくなっていることを、分かっていただけたのだと思います。予選では先頭を走って力んでいた部分も多かったから、誰かの力を借りて走ってもいいんじゃないか、と言っていただきました。練習では走れているのだから、と安心させてもくれました」

 過去2回の1分台は、先頭から全て自分が引っ張ってタイムを出した。そのレース展開ができればベストだったが、今回の久保は予選を走ってそれは難しいと判断し、レースパターンを変える勇気を持てた。自分が頑張れば結果を出せた高校時代との違いを、受け容れることができた。

 アジア大会派遣設定記録は未突破だったが、日本選手権で優勝すれば選ばれる可能性があった。勝つことを優先した判断だったが、塩見が速いペースに持ち込んだため、久保と塩見の2人がアジア大会派遣設定記録を突破。2人とも代表に内定した。

 だが今回のようなレースを続けていては、世界大会では通用しないことも自覚している。

「同じレースを戦ってくれる仲間がいるからこそ、自分も良いタイムを出すことができます。1人で行けたレースではなかったことは、新しい経験です。だからこそ、もっと強くならなければ、と思いました」

 2年前は先輩選手たちに挑戦すればよかった。昨年は自身の力を最大限に発揮すれば、負けることはなかった。今年は自身の状態を冷静に判断してレースパターンを変更し、しっかりと代表入りも決めて見せた。

●高校時代の強さとTWOLAPS TCでの強さ

 昨年までの久保の強さは、東大阪大敬愛高という高校生チームにおける強さだった。野口雅嗣監督はチーム全員が自己新を出すことを目標とする指導で、久保もその考えで競技を行っていた。チームメイトがインターハイ路線などで自己新を出せば、久保もそれに刺激を受け、日本選手権やグランプリで自己新を出した。昨年の東京世界陸上に出場したが、「久保は1人で世界陸上を走るわけではありません」という野口監督の言葉が印象に残った。

 久保自身も昨年の日本選手権で日本新を出した際、次のようにコメントしている。

「自己ベストも出すことができて、(喜びを)野口先生、家族、東大阪大敬愛で一緒に頑張っているみんなに伝えたいです。練習もしっかり積めてきましたし、脚のケアをしていただいたり、周りからのサポートもあったり、そのおかげで自分はこうして楽しんで陸上ができています。そこが強いところかな」

 今年からチームは、積水化学とTWOLAPS TCに変わり、日本のトップや国際大会を舞台に戦う環境に身を置くことになった。積水化学入社直後の取材では、「注目とかたくさんしていただいて、その期待と応援にしっかり応えたい」と話していたが、木南記念の後は「心が折れちゃって、ご飯が食べられない時期もあった」と言う。

 高校生であれば失敗しても、チームメイトと同じ価値観で行動をすることでストレスが軽減されただろう。だが社会人選手は結果に対し、自分の責任として受け止める部分が大きい。環境が整っている選手ほど、自身への期待やサポートの大きさを実感し、結果を出さないといけないと考える。

 それでもTWOLAPS TCの一員であることが、今回の久保を救った。横田コーチは練習メニューを工夫したり練習を引っ張ったりするだけでなく、久保に寄り添う行動もとっていた。合宿では10000mとハーフマラソンの日本記録保持者で、五輪&世界陸上でも活躍してきた新谷仁美(積水化学)と同室になり、色々な話をしてもらった。

「何気ない気遣いといいますか、自分に気を遣わせないような気遣いをしていただいています。申し訳ない気持ちはありますが、自分よりもたくさんの経験をされて来られた先輩たちで、自分よりもすごくしんどい思い、苦しい思いもされて来られたから、やっぱり分かるんだろうな、と思いました。すごくありがたいですし、最高のチームだな、って思います」

 高校時代の走りには及ばなかったが、社会人になって早い段階で失敗と、それを克服する過程を経験したことは、今後に間違いなくプラスとなる。久保は18歳の日本選手権で、大人のアスリートへの階段を確実に一歩上がった。

4月7日に駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場で練習を公開したときの久保と横田コーチ

執筆者】 : 寺田辰朗         寺田的陸上競技WEB