【国スポで躍動した東京勢】天皇杯で11大会連続8位以内を達成。入賞選手たちの中から印象に残ったコメントを紹介

 第79回国民スポーツ大会の陸上競技が10月3~7日、滋賀県彦根市の平和堂HATOスタジアムで開催された。東京チームの優勝は少年男子Aハンマー投の北翔太(保善高3年)、少年男子共通110mHの古賀ジェレミー(東京高3年)、成年女子走高跳の森﨑優希(日女体大2年)の3種目。3位以内は計6人と例年より少なく、優勝を目標にしていた天皇杯は92.33点で8位だった。

 それでも入賞者の数が多かったことで、11大会連続天皇杯8位以内を達成した。各選手が置かれた状況で、できる限りのことをした結果だろう。入賞への過程や、選手の思いが表れていた3人のコメントを紹介する。

●「メダルが欲しかった。何しに国スポに来たのか」(少年男子共通走高跳・清水怜修)

 少年男子共通走高跳で、4位となった清水怜修(明星学園高2年)の記録は2m09。9月の東京都高校新人と同じ2m12を跳んでいれば、3位に入る可能性はあった。

 清水はまだ2年生だが、コメントからもわかるように目標が高い。2年前の全日本中学選手権、U16競技会と、全国大会2つで優勝した実績があるからだろう。それに加えて走高跳が、東京の伝統種目という意識があったのかもしれない。

 東京は過去、走高跳の名選手を多数輩出してきた。東京の高校生歴代リストは以下のようになる

2m20 君野貴弘(堀越高)1990年

2m20 野村智宏(堀越高)1993年

2m19 醍醐直幸(東京高)1997年

2m19 内田猛樹(東京高)1988年

2m17 比留間修吾(堀越高)2000年

2m17 福士 湊(明星学園高)2023年

 君野と野村が持つ東京都高校記録は高校歴代8位タイ。高校記録の2m25とは5cm差があるが、09年までは2m22が高校記録。2m20は当時、高校記録と同レベルという状況だった。

 高校卒業後に大活躍していることも東京の走高跳選手の特徴だ。君野は順大2年時の92年に世界ジュニア(U20世界選手権)で銅メダルを獲得。その試合で跳んだ2m29は現在もU20日本記録である。君野は翌93年に2m32と当時の日本新をマーク。現在は日本歴代4位だが、学生記録として残っている。

 醍醐は06年に2m33と当時の日本新をマーク。現在は日本歴代2位タイだが、屋外の記録としては日本最高記録である。

 比留間が現在は明星学園高の指導者として、女子で今回の国スポで優勝した森崎優希(日女体大2年)や福士、清水らを育ててきた。

「来年の目標は、まずは東京都高校新記録の2m21を必ず跳ぶこと。そこから徐々に記録を上げて行って、高校記録(2m25)更新も目指せるように頑張っていきます」

 清水のコメントには、“走高跳の東京”の伝統を受け継ぐ覚悟が表れていた。

●「(コーチの)父親とはバチバチですが、経験は向こうもありますから」(少年男子A5000mW・井上隼太朗)

 少年男子A5000mWでは井上隼太朗(東京高3年)が、20分35秒78の自己新記録で4位に入賞した。東京高はトラック&フィールドの全国的な強豪だが、「競歩に関しては指導スタッフもいなくて、何でも自分で考えています。父親が競歩経験者で、そのつながりで大学の競歩指導者のところにも行っています」と井上は説明する。父親の順文さんは東海大在学中に、日本インカレ10000mWで2位になったこともある選手だった。

 しかし身近にあった競歩を好きになって、自然とやり始めたわけではない。「僕は長距離をやっていたんですが、父から『センスがないからやめろ』と言われ続けて。それがずっと悔しかったので、だったら父と同じ種目で見返してやろうと。それで始めました」

 しかし井上が競歩をやるようになっても、「バチバチです」と親子は衝突している。女子中・長距離の田中希実(New Balance)と、田中健智コーチのような関係なのだろう。親子なので衝突しても、ケンカ別れで終わることはないし、本音をぶつけ合うことで自分たちの取り組みを深めることができる。

「経験は向こうもあるんで、そこは聞くようにしています。今日のレースプランも父が立ててくれました」

 3位だったインターハイ後に右ヒザの半月板を損傷し、1カ月ほど歩く練習ができなかったという。今大会はインターハイ優勝者が大会新ペースで先頭を歩いたが、それには付かなかった。4000mでは7~8位だったが残り1000mで順位を上げ、特にラスト1周で3人を抜いて4位に入った。国スポの結果でまた、父親への信頼が大きくなったのではないか。反発しあいながらも、親子は二人三脚で歩いて行く。

●「1週間前に代役を言われましたが、予選落ちは自分の問題。言い訳はできません」(成年男子300m&成年少年男子共通4×100mR・清水壮)

 成年男子300mには、東京世界陸上400mで7位に入賞した中島佑気ジョセフ(富士通)が出場予定だったが、体調が整わず急きょ、清水壮(日大3年)の出場が決まった。しかし4組で33秒48の7位。プラスでは32秒91の選手まで決勝に進むことができた。

 清水は個人種目で全国大会の決勝に残ったことはないが、関東インカレ200mでは1年時に7位に入賞した。今年7月の東京都代表選考会では32秒94をマーク。国スポの決勝進出も、手が届かないところではなかった。

「急きょ言われた影響がまったくなかったわけではありませんが、言い訳にはできないと思っていました。動画も見直して、自分に問題があったと反省しています」

 しかし4×100mRでは、100m10秒42、200m20秒86のスピードを持つ清水が4走で貢献した。特徴である「トップスピードに乗ったときのスムーズな走り」を生かし、フィニッシュ前で1人を抜いて4位(39秒50)に入賞したのである。

「300mは不甲斐ない結果に終わりましたが、4継はメンバーに恵まれて、アンカーという大きな役割を果たすことができました。急に出場が決まったのに温かく迎え入れてもらえて、信頼も、応援もしてもらって。陸上で悩む時期もありましたが、こんなに応援してもらったり、機会をもらったりして頑張って行ければ、いつか良い結果につながると思います。国スポに出られて、モチベーションが良い方向に向かい始めました」

 国民スポーツ大会に出場できたことは、来季の日本インカレ200m優勝を目指す清水に大きなプラスになりそうだ。