【国スポ・スペシャル】少年男子共通110mJHにU20日本新で優勝。古賀ジェレミーと能登谷顧問が語る4つの勝因<後編>

 第79回国民スポーツ大会の陸上競技が10月3日~7日、滋賀県彦根市の平和堂HATOスタジアムで開催された。東京勢では少年男子共通110mJH[高さ99.1cm]の古賀ジェレミー(東京高3年)が、13秒07(+0.7)のU20日本新記録で優勝。110mH[高さ106.7cm]高校記録保持者、インターハイ優勝者の実力を、ハードルの高さが異なる種目でもいかんなく発揮した。

 しかし勝負は接戦となった。宮崎県の髙城昊紀(宮崎西高2年)が古賀と競り合い、13秒17のU18日本新記録で2位と健闘したのである。国民スポーツ大会屈指の好勝負を制した古賀の勝因を、本人と東京高・能登谷雄太顧問に取材をした。後編では古賀が国民スポーツ大会にどんなメンタルで臨んだかを紹介する。

●視野が広くなっていた国民スポーツ大会

 3つめの勝因は「古賀の視野が広かった」(能登谷顧問)ことだ。「自分の状態も俯瞰して見ることができていましたし、インターハイとは落ち着きが全然違いました」

 2連勝したインターハイでは、重苦しい雰囲気もあった。古賀自身も次のように振り返った。

「去年優勝していたのもあって、“勝たなきゃいけない試合”みたいな感じ方をしてしまっていました。タイムレース決勝になったので1人で走るような感覚で、別の組の髙城君がケガで良くない状態で、絶対に勝たなきゃいけないと考えてしまいました。自分を締めるような考えに縛られて、悩んでいたと思います」

 能登谷顧問は、清水空跳(石川・星稜高2年)が100mで10秒00を出したことも、「自分もやらなければというプレッシャー」につながったと見ている。決勝前の技術的な修正も練習したが、「今の彼ではできない」と感じた。招集前に涼しい部屋に行かせ、「20数えておいで」とアドバイスした。

 インターハイは追い風2.2mで参考記録となったが、13秒18と高校生としては異次元の数字を叩き出した。レース後の取材では、20数えて気持ちを落ち着かせたことで、冷静な走りができたことを明かしていた。

 東京2025世界陸上標準記録は13秒27で、インターハイの古賀は実質的にそのタイムを上回った。東京世界陸上の110 mHもスタンドから観戦し、「自分だったらどこまで行けるだろう。準決勝には行けたかな」と思いながら、世界トップアスリートのハードリングを見つめていた。

 8月末には英国遠征で100mを10秒44(+2.6)で走り、9月末のU20東アジア選手権では、国民スポーツ大会と同じ110 mJHで13秒18(+3.4)の2位。中国人選手に後半で抜かれたことも、良い経験になったという。

 国民スポーツ大会に臨む古賀には、2つの相反する気持ちがあった。

「インターハイと同じで、国内では負けられないプレッシャーもありましたが、東アジアで隣の中国選手のスピードを体感したことで、大会の規模の感じ方がまったく違ってきました。こう言ったら失礼かもしれませんが、今回の国スポは県大会みたいな感覚で臨めました」

 国民スポーツ大会の古賀は、大会の重要性や存在価値を認識した上で、よりリラックスしたメンタルで臨むことができていた。

●2年前の国体から今年の国民スポーツ大会へ

 勝因の4つめは、国民スポーツ大会(国体)への古賀の思いだった。

 古賀の全国大会初優勝が、2年前の鹿児島特別国体110 mJHだった(国体は国民スポーツ大会の前身)。中学では全国大会に出場できず、初めて出場した全国大会のインターハイは予選で転倒した。

「インターハイの失敗から国体の優勝が、自分のターニングポイントでした。(インターハイが)すごく調子が良かったのは確かですが、調子に乗って足元をすくわれました。それまでで一番良い7歩の入りができて、ここからだと思ったら2台目でもう詰まり始めていて。刻む練習もしていなかったので、3台目か4台目で転んでしまいました。そのときはわけがわかりませんでしたが、初めて泣いて、自分は本気でハードルをやっているんだなって気づいて。もう1回頑張ってみようと思って出た次の大会が国体で、楽しくレースができたのも国体が初めてでした」

 本気で競技に取り組むことで初めて、楽しさに気づくことができたし、競技への集中力も明らかに違った。予選は1着+4の着順に入れずプラスで通過したが、古賀は怯まなかった。

「決勝のレーン紹介のアナウンス中、僕は一番端の8レーンで佇んでいましたが、心の中は『絶対に勝つぞ』とメラメラ燃えていました。スタートで出て、最後の最後で中学記録を持っていた選手を抜くことができたのも良かった。高校生活の中で一番の思い出かもしれません」

 東京チームも古賀を心身両面でサポートした。招集所に行く前に古賀が「適当にやったポーズ」が、その後の東京チームで流行した。今大会でも出場する5レースすべてで行ったという。「レース前も音楽聴いたり、踊ったりするくらい余裕がありました」。選手のタイプによって違いはあるが、今の選手はそのくらいの方が競技への集中力が増す。その雰囲気を古賀と一緒に作ったのが東京チームだった。

「最初の全国優勝した思い入れのある大会で、最後は絶対に(優勝と新記録で)締めくくろうと思っていました」

 高校最初の国体優勝で成長のきっかけをつかみ、高校最後の国民スポーツ大会優勝でハイレベルの記録も出した。古賀は国スポから世界に羽ばたく選手になる。

執筆者】 : 寺田辰朗          【執筆者のWEBサイト】 : 寺田的陸上競技WEB