【アジア大会で輝いた東京勢①】諸田実咲 歴史の扉を開ける快挙。4m55の日本新で女子棒高跳日本勢初Vを達成

アジア大会の陸上競技が9月23~29日、名古屋市のパロマ瑞穂スタジアムをメイン会場に行われた。東京陸協登録選手は金メダルを3個、銀メダルを3個、銅メダル3個を獲得。日本チーム全体でも金10、銀12、銅10と、メダル総数35個だった86年ソウル大会以降で最多という活躍だった。東京勢のなかでも女子棒高跳の諸田実咲(アットホーム)は、4m55の日本新記録での金メダル。この種目が実施され始めた98年バンコク大会以降、中国勢が勝ち続けていた種目で日本勢初優勝を果たした。

●金メダル候補の中国選手とパスの応酬

 女子棒高跳の日中決戦は、パスを応酬する展開になった。

 牛春格(中国)が跳び始めた4m25は諸田も牛も1回目でクリアし、その時点で2人の銀メダル以上が確定した。次の4m30は2人ともパス。諸田は4m35に挑戦したが、牛は4m35もパスを選択した。それを見て田中成コーチは次のように考えたという。

「牛選手の4m25の跳躍が、それほど動きが良くないと見て取れたんです。次の高さを4m40にしたのでその後は、4m50、60と10cm刻みで跳んでいくだろうと予想できました。それなら4m35、45、55と跳んでいって、諸田が先に跳べばプレッシャーをかけられるかもしれない」

 諸田は4m35を1回失敗したが、2回目に成功した。諸田はその高さから、硬めのポールに変えていた。

「4m25までは助走がよくなく、軟らかめのポールで跳んでいたのですが、4m35からはポールを硬くして、助走もその辺から良くなって、しっかり反発を得られるようになってきました。序盤は助走の最後で後傾してしまって、上手くポールに力が伝わらない跳躍が続いていましたが、だんだん修正していきながらバーを上げられました」

 対する牛も4m40を1回でクリアした。普通なら牛が優位に立ったといえる状況だが、この日の諸田は動じなかった。自己4番目の高さとなる4m45を1回で成功する。牛も4m50を1回で越えたが、バーを揺らしながらぎりぎりのクリアランスだった。

 諸田は牛との戦いを「跳んで、跳ばれて、という展開でしたが、とにかく自分の跳躍に集中しよう、という思いで試合をしていました」と振り返る。4m55のバーも日本新への挑戦というより、牛と勝負を展開する中で自分のやるべき動きに意識を向けていた。

 しかし4m50は、諸田が持つ日本記録(4m51)とほぼ同じ。その高さをパスするのは思い切った決断だったと思われた。だが田中コーチは「4m60くらいはいつでも跳べる力がある」と、自信を持ってパスを提案した。「諸田も“え?”という反応は少しもしませんでしたね」

 こうして諸田は4m55のバーに挑んでいった。

●前回アジア大会銀メダルからの成長

 諸田は23年10月の杭州アジア大会では4m48と、当時の日本記録で銀メダルを獲得した。4m63で優勝したのはアジア記録(4m72)保持者の李玲(中国)だった。同年7月のアジア選手権は4m66で優勝した李に対し、諸田は4m00で4位。差は縮めたが、中国勢の壁はいぜんとして高かった。

 李は36歳だった昨年は、1試合にだけ出場して4m15を跳んだが、その後は試合に出場していない(世界陸連サイトのデータによる)。代わって中国のエースの座に就いたのが、今年26歳の牛だった。杭州アジア大会では4m30で諸田に敗れ3位だったが、昨年のアジア選手権、今年2月のアジア室内選手権、5月のアジア跳躍選手権と諸田に3連勝。5月には4m73と、李のアジア記録を1㎝更新していた。李の成長と充実で、名古屋アジア大会でも中国勢の8連勝が有力と思われた。

 だが諸田はシーズン当初から、「アジア大会の目標は金メダル。4m60以上を跳べばチャンスはある」と言い続けてきた。25年に両手首の大きなケガがあったが、リハビリなどを懸命に行い東京世界陸上にも出場。今年5月には4m50と自身の日本記録を更新した。さらにアジア大会2週間前には、全日本実業団陸上で4m51と調子を上げていた。

「地力がついていることが、使っているポールを見てもわかります。昨シーズンよりも1つ上のポールを複数の試合で使えていることが、記録向上という形になって表れています」

 杭州アジア大会の4m48は長さ14フィート、耐荷重150ポンドのポールで成功した。24年からは同じ150ポンドでも一段階硬いポールと、14フィートで155ポンドのポールも使い始め4m40以上が安定した。今年の木南記念の4m50も14フィート、155ポンドのポールで、筋力と走力のアップなどに取り組んできた成果で、より大きくポールを曲げられるようになった。

 今シーズンは「160ポンドのポールを使うこと」も視野に入れ始め、練習では背中を押してもらって何度かそのポールを使っている。その一方で155ポンドのポールでも、しっかり曲げれば4m60以上を跳べる感触を木南記念でつかんでいた。

「4m60を先に跳べば中国勢と勝負ができる」

 その手応えを持って、諸田はアジア大会に臨んでいた。

●グリップを高くして4m55に成功

 諸田は4m55を2回目で成功させた。

「助走の最後から踏み切りのところを意識して、入った瞬間『あ、これはいけるかも』と感じました。ポールの曲がった感触とかで、しっかり上に跳ね上がる感覚がありましたから」

 体が上昇していく途中で少しバーに触れたものの、高さはしっかりと出ていた。ポールは155ポンドで「マックスポールの更新はならなかった」(諸田)が、グリップ(握りの高さ)を上げていた。木南記念は4m20を握っていたが、アジア大会の4m55は1本目を4m22くらいで、2本目は4m25くらいを握って挑戦していた。田中コーチがその経緯を説明してくれた。

「4m55の1本目を失敗した後、有名な外国人コーチから『ポール変えるよね』と言われたのですが、私たちはポールは変えず、アップライトを80㎝に押して、グリップを指2本上げました。どのくらいグリップを上げたらどんな動きになるかを、日々の練習で把握していましたから」

 より硬いポールを使いこなすことが、高く跳ぶための大きな原理であるのは間違いないが、同じポールでも握る位置を数cm変えるだけでも高く跳ぶことができる。その判断には当日の選手の状態、気象状況なども関わってくる。諸田と田中コーチのコンビは試合を進めながら、その最適解を見つけていた。

「アジア大会でもまだ、やりたい動きの70%だったと思います」と田中コーチは手厳しい。だが裏を返せば、記録を伸ばす可能性があるということだ。

「やりたい動きができたとき、160ポンドは間違いなく使えます。動きができればグリップも上げられます。その2つができたとき、諸田は4m70、75くらいいくと思います」

 諸田は世界への挑戦を改めて明言した。

「4m55を跳ぶことができましたが、これをコンスタントに跳べるようにして4m60をオーバーし、4m70に乗せていかないと世界では戦えません。ここからもっと上げていきたいです」

 諸田の最終目標はもちろん、アジアではなく世界である。

「勝ったことのないアジア大会で日本人が勝てたことを、これからの自信にしていきたいと思います」

 日本の女子棒高跳の歴史を動かした諸田は、世界へもまた1歩近づいた。

【執筆者】 : 寺田辰朗         寺田的陸上競技WEB