順天高(今年度から北里大附属順天高)出身の道下美槻(積水化学)は6月の日本選手権女子1500mで2位に入り、9月に名古屋で開催されたアジア大会代表にも選ばれた。道下にとっては初の日本代表入りだったが、今季の道下にはもう1つ別の注目点があった。21年に4分12秒72の学生記録(当時。現学生歴代2位)を出したが、今年5月にその記録を5年ぶりに更新したのだ。“出てしまった記録”に苦しめられたが、持ち前の向上心で高い目標を持ち続けた結果の自己新記録だった。順天高では全国トップレベルとまではいえなかった道下が、どんなプロセスでここまで成長してきたのだろうか。
●順天高時代に目標としていた“駅伝プロジェクト”合宿
道下が陸上競技を始めたのは中学1年時。部活動に入る決まりだったからで、小学校から夢中になっていたダンスに生きるのでは、と考えた。小学校1年からチアダンスを始め、5年時から始めたヒップホップダンスは中学2年まで続けていた。
それでも中3時には800mで全日本中学選手権に出場。予選落ちではあったが順天高から声がかかり、高校から本格的に陸上競技に取り組むことになった。順天高は全国高校駅伝に何度も出場している強豪だが、“文武両道”でも知られている高校だ。
「陸上部の部員は勉強でも、クラストップの方の子しかいませんでした。部活も頑張っていて、朝練習は毎日7時から50分間ですが、テスト期間でもやっていました。月曜日と木曜日は7時限目、夕方の5時まで授業がありましたが、その2日はフリーの練習でした。その頃は特に考えて練習していたわけではありませんが、大学(立教大)が毎日練習に来る指導者はいなかったので、高校の経験が生きたのかもしれません」
高校時代、道下は全国トップレベルまで成長できたわけではなかった。個人では1年時の国体(現国スポ)少年B800m6位が最高成績で、2~3年時のインターハイは全国大会に駒を進められなかった。全国高校駅伝も出場したのは1年時だけで、2区で区間15位(チームは21位)という走りだった。2年生以降は“結果を出さなければ”という意識が強くなりすぎて、レースや負荷の大きいポイント練習前におう吐してしまうほど緊張するようになっていた。
しかし3年間で、次のステップに上がるための基礎的な部分ができていたようだ。順天高の練習はビルドアップやインターバルを行うときも、4000mから8000mのペース走を行った後に走っている。同高の藤本正隆監督は「基礎を大事にする考え方です」と以前の取材で話していた。道下は1500mで3年時に4分25秒72と、その年の高校リスト25位の記録を出している。
東京陸協が“駅伝プロジェクト”の一環として行っていた夏と冬の強化合宿も、道下が「目標」にしていた1つ。
「錦城学園高に増渕祐香さん(名城大で全日本大学女子駅伝優勝)、保坂晴子さん(現パナソニック。24年日本選手権1500m5位)、坂口愛和さん(現ベアーズ。25年北海道マラソン優勝)といったライバルがいて、切磋琢磨していました。彼女たちが年々強くなっているのを実感できて、自分も頑張ることができたと思います」
次のステップに進むための基礎を付けたが、自身をメンタル的に追い込んでいたため、卒業後の進学先にはのびのびと競技ができる立教大を選んだ。
●学生新記録とその後の低迷
大学1年時(20年)に道下は日本選手権1500m9位と、高校時代の成績からは信じられないような躍進を遂げた。新型コロナ感染拡大でレースができなかった時期で、「練習に集中するしかなかった」ことが飛躍の一因だった。高校時代と違い自身が練習を考えることで、自分に適した練習内容を判断できるようになったのかもしれない。
「体の状態を見て今日はジョグをこのくらいで走ろうとか、少し補強を増やそうとか、休んで治療に行こうとか、自分で判断していました」
コロナ禍で日本選手権開催が6月から10月に変更されたことも、新しい環境で1年目の道下にはプラスに働いた。9月の日本インカレで800m6位、1500m8位(予選で4分22秒82の自己新)とダブル入賞を果たすと、日本選手権で9位(4分22秒91)と入賞に迫った。その間で道下の意識が一気に高くなり、翌年2月には直訴してTWOLAPS TC(元800m日本記録保持者の横田真人氏が主宰する中・長距離の強化に特化したクラブ)の練習に参加するようになった。
大学2年のシーズン(21年)は6月の日本選手権で800m、1500mとも5位に入賞。1500mは5月に4分20秒58、6月に4分15秒33と自己記録を更新し、学生歴代順位も上位に浮上した。そして7月のホクレンDistance Challenge千歳大会で4分12秒72の学生新をマークした。
「私は性格的に、チャレンジできている時に状態が良くなるようです。TWOLAPS TCの練習に参加することで、扉を大きく開いたのだと思います。勢いをもらって出せた記録です。それまでは自分で考えてガムシャラにやっていましたが、TWOLAPS TCの新田良太郎コーチと出会って、論理的、科学的な視点をトレーニングに取り入れたことがハマったのだと思います」
しかし大学3年で日本選手権3位になったところまでは良かったが、その後は低迷する。「その頃からまた、高校の時と同じように、自分で自分を追い込んでしまうことが多くなりました。学生の試合では絶対に負けられない、と考えてしまって。最後のインカレだった4年時の日本インカレは、過緊張から予選のレース前にすごく吐いてしまって、結局完走できませんでした」
故障もかなり多く、1箇所の故障が治るとすぐ、また次の故障をすることが多かった。継続した練習ができず、4年時(23年)のシーズンベストは4分19秒47にとどまった。
●5年ぶりの自己新に悔し涙を流した道下
道下のすごいところは、競技成績がどんなに落ち込んでも代表を目指すモチベーションを持ち続けたことだろう。詳しくは後述するが、そのための努力を怠らなかった。
24年に積水化学に入社したが、日本選手権の直前にぎっくり腰になり、「ずっと目標にしていたパリ五輪の選考会に立てませんでした。そのときがどん底でしたね」と振り返る。しかし「悔しくてテレビも見られませんでしたが、それで火が点きました」と、自身の取り組みを見直すきっかけにした。
練習はそれまで、走るメニューは新田コーチ、走りのドリルは別のスタッフ、フィジカルトレーニングはまた別のスタッフと分業制で行っていた。しかし道下は分業制をやめて、指導に関わるスタッフを新田コーチに1本化した。
分業制のメリットは大きく、近年、多くのトップ選手が採用しているスタイルだが、「情報共有のスピードや、情報の解像度の部分で一元化するメリットもあります」と新田コーチ。「特に道下はケガが多いので、エラーが生じた時にすぐにスタッフが対応できる方が良い。何かのメニューでおかしいな、と思った時に、その日の別のメニューで対応ができるので、ケガの防止にもつながります」
TWOLAPS TCは指導者やチームのやり方に選手が合わせるのではなく、選手にチームが合わせる。スタッフの分業制も一元化も、どちらのスタイルもできる体制ができている。
緊張を抑えるための取り組みとしては、「ケガなく練習が継続できるようになったことが自信になりましたが、本を読んだり横田さんに経験を話していただいたり、思考のトレーニングも以前よりやり始めました」という。
新田コーチは練習メニューを提示する際に目的を明確に話し、その日にできなかった場合はこう組み直せば大丈夫だから、と道下の不安を取り除いた。
入社2年目の昨シーズンは、4~7月に4分13~16秒台を4レースでマークしている。自己記録更新の力は付いていたが、「メンタル面」(道下)がまだ不完全だった。
「レースでは別人のような動きになってしまう部分があって、練習でやった100をレースで100出せませんでした。動きとしては力の入れ過ぎでオーバーストライドになって、筋肉に過剰な負荷がかかり、お尻にダメージが出て最後が動きませんでした」
今年は腕振りを変更した。以前は前方にアクセントを置いてコンパクトに振っていたが、腰の脇で空気を切るイメージに変えたところ、リズムが良くなりオーバーストライドも改善できた。
5年ぶりの自己新は5月30日、TWOLAPSが主催するMDCのレースで実現した。最後は昨年のアジア選手権優勝の中国人選手に1秒27差と力負けしたが、4分10秒48の2位でフィニッシュした。普通なら感動するところだが、道下は悔しさで涙が出たという。
「アジア大会派遣設定記録の4分07秒68を切ることだけを考えていました。時間が経ったら少しホッとした気持ちにもなりましたが」
道下は自己記録が更新できない間も、「(五輪や世界陸上の)標準記録が目標です」と言い続けていた。昨年の東京世界陸上の標準記録は4分01秒50で、日本歴代2位に相当する。客観的に見れば差は大きかったが、道下は本気で目指していた。それこそが5年の歳月に屈しなかった理由だろう。
道下の競技への取り組み方にも、その姿勢が現れている。ポイント練習のウォーミングアップに1時間半から2時間をかける。「筋発揮がしやすいように、筋肉にしっかり刺激を入れておきたいんです。補強も毎日1時間くらい、陸上競技を始めた頃からずっと続けています」。
新田コーチも道下のそうした面を、「競技にプラスになると思ったことは徹底的にやります。トレーニング、食事、睡眠、メンタル面。オフの時以外は1年中やり続けています。なかなかマネできないことです」と高く評価している。
もちろんまだ、世界で戦えるレベルには達していないし、アジア大会ではスタート直後から500mまで先頭を走ったが、4分21秒24で8位にとどまった。この展開は終盤の競り合いで上位に入ることは難しいと判断し、代表を決めた日本選手権後から立ててきたレースプランだった。そのために新田コーチに引っ張ってもらう練習をやめ、自分でペースを作る練習を増やした。
「初めての日本代表という舞台でも、最初から思い切ってチャレンジできました。悔しさは残りますが、悔いはありません」
新しい練習も、すぐにできるようになったわけではない。新田コーチによれば「練習中のエラー度が増えました」という。「でも、そこも含めて経験になります。どんと構えて取り組んできました」
アジア大会前から来年の北京世界陸上、28年のロサンゼルス五輪を見続けてきた。アジア大会レース直後にも「変わらず高い志で頑張ります」と決意を口にした道下。目の前の壁を、壁と思わず乗り越えていく。

長野県東御で高地練習を行う道下<写真3点ともTWOLAPS TC提供>

新田コーチと道下

5年ぶりに1500mの自己新をマークしたMDC
【執筆者】 : 寺田辰朗 寺田的陸上競技WEB

