【インターハイで輝いた東京勢⑥】明大八王子高が男子4×400mRで東京都高校新記録の2位! エース砂川が400m予選落ちから復調、アンカー栗原が驚異の追い上げ

 今年の高校日本一を決めるインターハイの陸上競技が7月30日から8月5日まで、滋賀県彦根市の平和堂HATOスタジアムで開催された。最終日の男子4×400mRでは明大八王子高が3分08秒54の東京都高校新記録で2位。アンカーの栗原晋作(3年)がすさまじい追い上げを見せたが、優勝したチームに0.06秒及ばなかった。レース後の選手たちからは、「悔しい」という言葉が異口同音に発せられた。本気で優勝を狙っていたからだが、どの選手も後半で追い上げるなど力を発揮したレースでもあった。

●2~4走が終盤で驚異的な追い上げ

 4走の栗原が最後の直線で猛烈に追い上げていた。直前に入る前まではで、トップとは6~8m差があったが、栗原は諦めていなかった。

「走っている仲間と、応援してくれている仲間のことを思いながら、何が何でも優勝するっていう気持ちを出して、最後まで走り抜きました。ラスト20mくらいから差がグッと縮まって、ゴールした瞬間は差し切ったかどうか微妙な位置でした。4走はどんな状況でも1位で持って帰ってくるのが役目なので、すごく悔しいです」

 レース展開を振り返ってみよう。

 1走の山口耕達(3年)こそ7位でのバトンパスだったが、中位グループとは大きな差ではなかった。2走の小松駿斗(3年)も3走の砂川響介(3年)も、最後の直線で猛烈な追い上げをして良いポジションで次走者にバトンを渡していた。

 小松は4人の中では唯一、100mと200mを専門とする選手。個人種目のインターハイ路線は、東京都予選の200m7位で終了した。6位までが南関東予選に進めるシステムだけに、悔しい結果だった。

「そこからはずっとロングの練習を、辛かったですけど頑張りました。苦手な距離に向き合い続けて来ました」

 1走の山口から7位でバトンを受け、ホームストレートに入るところではまだ7番手、トップとは15mほど差がある位置を走っていたが、残り100mで順位を上げ4位に進出。トップとの差も10m前後に縮めていた。

 3走にはエースの砂川が起用された。バックストレートの後半では、トップとの差は少し開いたようにも見えたが、200m付近で1人を抜いて3位に浮上。ホームストレートで差を詰め始め、特に残り50mを過ぎてから激しく追い上げた。4走へのバトンパスではトップと数10㎝差の2位に上がっていた。

 そしてアンカーの栗原も、バックストレートでは1、2位チームに引き離され、190m付近では4位に後退していた。だが栗原は焦っていなかった。

「他の選手に比べたらスピードが全然速くないので、最初から置いて行かれてしまいましたが、ラスト100mが自分の強みです。そこで勝負できると思っていました」

 栗原は中学3年時の全日本中学選手権400mで6位に入っているが、高校で全国大会に出場するところまで成長できなかった。今年6月の南関東予選は7位、あと1人というところで全国大会出場を逃した。

「全中6番がすごく悔しくて、高校では全国優勝を目指してきました。そのために日々、仲間たちときつい練習をやってきて、そういう一日一日から逃げずに、自分と向き合ってきた自信はあります。だからラストは絶対に負けられません」

 上位4チームが3分8秒台と歴史に残る激戦だった。ラスト50mを切ってほとんどのチームが、首が大きく振れたり上体が揺れたりする中、栗原だけが力強い腕振りでそれまでと同じ脚の回転を保っていた。優勝チームに0.06秒届かなかったが、終盤に強い明大八王子高を全国に印象づけた。

●砂川が復調できたプロセスは?

 3走の砂川のスプリットタイムは45秒台と、高校トップレベルのタイムで走っていた。

 砂川は個人種目の400mでも47秒08を東京都予選でマークし、全国リスト5位で全国大会に臨んでいた。優勝を狙っていたが大会2日目の予選では4組5位、48秒36でまさかの予選落ちをしてしまった。

「両脚のハムストリング(大腿裏)に今までにない違和感があったんです。脚にしっかり力が入らない状態を初めて経験しました。前日の練習では良かったので大丈夫だと思って予選を走りましたが、上半身と下半身の動きが噛み合わず、後半がキツくなってしまいました」

 4日後には4×400mRの予選がある。

「みんなでインターハイの優勝と東京都記録(3分10秒31=城西高・23年)を目指して3年間走ってきました。(エースの)自分が不甲斐ない走りをして、チームに迷惑を掛けるわけにはいきません」

 だが、予選の翌々日の練習でも状態は良くならなかった。

「400m予選の後、迷惑を掛けるんじゃないかとずっと不安でしたが、リレーメンバーだけでなく、補欠や付き添いの部員も励ましてくれて、士気を上げることを言ってくれました。いつも通りの走りに戻すために、上半身と下半身の動きを合わせるための練習を行いました」

 予選は「満足できるラップではなかったが、いつも通りの走り」ができ、1組1位で決勝に進出を決めた。タイムは3分10秒75で東京都高校記録には惜しくも届かなかったが、チーム最高記録を更新していた。

 決勝は3走の砂川と4走の栗原の走順を入れ替える案もあったが、砂川が4走に栗原を推した。「400mで振るわなかった僕が、アンカーで巻き返して1位を取れるか不安があったこともありますし、明大八王子高の中心にいたのは栗原なんです。みんなの気持ちを上げてきたのは間違いなく彼でした。栗原にアンカーを走ってもらって、このチームの最後を締めてもらいたかった」

 復調したエースがトップに並ぶ位置まで追い上げたことで、チームリーダーの栗原が僅差の優勝争いを演じることができた。

●3年間の切磋琢磨が全国2位に

 3走の砂川と4走の栗原が素晴らしい走りができたのは、1走の山口と2走の小松が、砂川が力を発揮できる位置でバトンをつないだからだ。リレー種目や駅伝の記事では個人の活躍を取り上げることも多いが、実際には全員の力が順位に表れる種目である。

 1走の山口は7位でのバトンパスだった。「自分が付けられてしまった差で、全国制覇に手が届かなかった」と大粒の涙をこぼした。山口自身は「ラストもスピードを保てなかった」と振り返ったが、動画を見るとしっかりと粘っている。砂川は「1、2走は他の学校が速い選手を置いてくる中で、山口は自分の走りをしていたと思います。結果を見て悔しがるのはわかりますが、個人の走りは悪くなかった」と、チーム全体で2位という結果を受け止めた。

 2走の小松は3選手中唯一のショートスプリントの選手だが、前述のように苦手なロングスプリントの練習に取り組んできた。砂川や栗原のような残り50mでの激しい追い上げではなかったが、手元で計測したラップはチーム内で2番目だった。

 全員が終盤をしっかりと走り切ることができた理由を、砂川が次のように説明した。

「僕らは400m選手3人のチームですが、他のチームは僕らよりショートスプリントが速い人をメンバーに入れてききます。特に決勝になると良い位置を取るために、最初から飛ばしてくる学校が多いんです。僕らもいつもより速い前半になっていたと思いますが、400mの選手なのでトータルで速く走ることを考えます。決勝だからと前半ガッと入って、後半に落ちるのが一番の負け筋です。落ち着いて入って後半巻き返す。そういう走りができたんだと思います」

 これはチームメイトを信頼しているからできる部分もある。自分でタイムを稼ごうという気持ちが強すぎると、前半を飛ばしてオーバーペースになってしまう可能性もある。意見の食い違いなどで、ちょっとした言い争いも何度かあったという。

「お互いに思ったことを言い合える仲だと思ってるので、そういう部分がチームとしての団結力というか、絆とかの強さとかに繋がっています」(山口)

 3年間、お互いの頑張りを見てきたからこそ、みんなで頑張る気持ちになれた。

 山口も小松も砂川も、中学3年時の全日本中学選手権では予選を通過できなかった。そのメンバーが3年間で、4×400mRで全国2位の力を付けた。練習で切磋琢磨してきたから実現できたことだろう。

「2位だぞオマエら。全国2位だぞ」

 誰の声かは判別できなかったが、表彰を待つ4人から3年間を締めくくる言葉が聞こえてきた。

執筆者】 : 寺田辰朗         寺田的陸上競技WEB