箱根駅伝9区区間賞の青学大・佐藤が、中学以来の全国都道府県対抗男子駅伝へ。「区間5番以内の走りをして東京に優勝の流れを作りたい」

1月18日に広島市で開催される第31回全国都道府県対抗男子駅伝。東京チームで注目されるのが佐藤有一(青学大4年)だ。正月の箱根駅伝では9区で区間賞を獲得。青学大の3連覇に貢献した。全国都道府県対抗男子駅伝には椚田中3年時(19年)に出場したが、自身は3区で区間22位、チームは18位と、ともに不本意な結果だった。拓大一高3年時(22年)に2回目の東京代表入りしたが、新型コロナ感染拡大のため大会が中止になってしまった。東京チームで走るのは7年ぶり。佐藤はどんな思いでタスキをつなぐのだろうか。

●「この4年間、無駄ではなかった」

 青学大の箱根駅伝の勝因はいくつも挙げられている。“シン山の神”となった黒田朝日(4年)が、5区で区間記録を1分55秒も更新する走りをしたこと。往路候補のメンバーが秋に調子を上げ、黒田を5区に残すことができたこと。その判断を原晋監督ができたこと。そして初出場選手が5区間中4人もいた復路でも、復路新記録を出すほど選手層が厚かったこと。

 復路の強さを象徴していたのが佐藤だった。4年生で初出場ながら9区歴代3位のタイムで走り、2位の國學院大との差を1分59秒に広げ、総合優勝を大きく引き寄せた。フィニッシュ後の会見では、喜びと4年間の思いが溢れ出た。

「この日のために4年間やって来た、と言っても過言ではありません。走れない時期もありましたし、やめたいと思った時期もありました。そういう時に支えてくれた家族、チームメイト、スタッフのおかげで区間賞の走りができました。(同じ4年生の)5区の黒田朝日の区間新や、8区の塩出翔太の区間賞の走りを見て、自分も区間賞を取りたい、区間新を出したいと思って走り始めました。本当に区間賞を取ることができてホッとしています。今苦しんでいる後輩たちに、良い背中を見せられたかな、と思います。この4年間、無駄ではなかった」

 高校時代はインターハイ5000mで12位(日本人7位)。2カ月後に高校記録を出す佐藤圭汰(当時洛南高3年。現駒大4年)には30秒差をつけられたが、世代トップレベルと言える選手だった。

 青学大入学後すぐに13分台(13分59秒32)を出し、5月の関東インカレ2部5000mで10位、6月のU20日本選手権5000mでは3位と、学生競技生活は順調なスタートを切った。だが夏以降に調子を崩してしまう。「オーバートレーニング」が原因で「負の連鎖」に陥ってしまった。精神的にも落ち込んだ状態が大学2年時の春まで続いていたという。2年時の11月に10000mで29分02秒24を出したが、箱根駅伝のメンバー入りはできなかった。

 大学3年時には学生競技生活にも慣れ、自分の練習のスタイルが徐々にできてきた。出場することはできなかったが初めて、箱根駅伝の16人のエントリーに入った。

「4年目で結果を残すしかないと、死ぬ気の覚悟でやってきました」

 最上級生になって5月の関東インカレ2部ハーフマラソンで11位と好走すると、6月に5000mで自己新を連発。11月の全日本大学駅伝5区で区間4位となった後に、10000mで28分07秒75をマーク。4年目にして初めて箱根駅伝に出場した。

 佐藤が中学時代に長距離を走り始めたのは、青学大の選手に憧れ、自分も青学大で箱根駅伝を走りたいと思ったことがきっかけだった。その目標を達成し「最高の景色を見ることができました」と、学生競技生活に悔いを残さず次の目標に向かって行く。

●「3区と7区、どちらでも対応できます」

 佐藤にとって全国都道府県対抗男子駅伝は、次に向かうための絶好の大会と位置付けられる。

「日本トップレベルの選手たちと競り合える駅伝です。区間5番以内の走りをして、東京に優勝の流れを作りたいですね」

 箱根駅伝9区は単独走になることが多い区間。今回の佐藤も独走だった。全国都道府県対抗男子駅伝で社会人・学生選手が走るのは3区(8.5km)と7区(13.0km)。箱根駅伝の9区に近いのは7区である。だが佐藤は3区にも意欲を見せている。

「箱根でも最初の1kmを、下りですが2分36秒で入りましたし、横浜駅(14.5km)までは2分49秒アベレージで押して行くことができました。他の選手に付いて、余裕を持って走ることができるのが自分の特徴です。最初に速いリズムを他の選手から借りて、8.5kmを押し切ることができる。7区でも3区でも、どっちでも対応できます」

 拓大一高や大学1年時には、トラックの全国大会で結果を残していた。卒業後は実業団チームのサンベルクスで競技を続けるが、「日本選手権の5000mや10000mで、日本のトップレベルで戦っていく」ことを当面の目標としている。スピードランナーが集まる3区の競り合いに対応できれば、その目標に一歩近づくことになる。

●青学大で走ることが目標だった中学時代

 佐藤が中学時代に長距離を走り始めたのは、青学大の選手に憧れ、自分も青学大で箱根駅伝を走りたいと思ったことがきっかけだった。中学3年の全国都道府県対抗男子駅伝で不本意な結果に終わったが、拓大一高で成長して青学大に進むつもりだった。しかし東京都高校駅伝は3位、2位、2位と3年間勝つことができず、3年時(22年)に東京代表入りした全国都道府県対抗男子駅伝は、大会が中止になった。

 4年前の東京チームは、10000m元日本記録保持者の村山紘太ら実業団も、佐藤たち高校生も強い選手が揃い、優勝が期待できるメンバーだった。

「中止になった時は気持ちを切り換えることもできませんでした。高校最後の大会でしたし、思い残すものが大きかった。大学・実業団でも東京代表に選ばれて走りたいと思いました。4年生でやっと選ばれたので、やってやろうという気持ちになっています」

 自分が一度も走ることができなかった全国高校駅伝で、昨年12月に後輩たちが7位に入賞し、胸のつかえが1つとれた。と同時に、自身の箱根駅伝に向けてのモチベーションも高まった。そして全国都道府県対抗男子駅伝では拓大一高の後輩たちとタスキをつなぐ。

 中学時代は自身が青学大の選手に憧れていたが、今度は自身が、中学生・高校生から憧れられる立場で東京チームの一員として走る。

「自分の方から声を掛けたりして、身近な選手と思ってもらえるようにしたいですね。自分も青学大で走りたい、と思ってもらえるような走りをしたり、接し方をしたりしようと思っています」

 強くなった選手が全国都道府県対抗男子駅伝を走ることで、若い選手がその選手を目標に成長する。東京チームの強化は良い循環ができていく。

執筆者】 : 寺田辰朗          【執筆者のWEBサイト】 : 寺田的陸上競技WEB