【日本選手権2025東京勢レポート4】男子棒高跳の江島が6年ぶりの5m70、東京記録タイ記録で3年ぶり優勝! 東京世界陸上出場を強く願う理由とは?

今年の陸上競技日本一を決める日本選手権が7月4~6日、東京・国立競技場で男女34種目が行われた。男子棒高跳は19年ドーハ世界陸上、21年東京五輪代表だった江島雅紀(富士通)が5m70で3年ぶり3度目の優勝を飾った。江島にとって19年にマークした5m71の自己記録(日本歴代3位タイ)以来、6年ぶりの5m70台だった。江島は22年6月に右足舟状骨を粉砕骨折。2度の手術を行い、1年3カ月のブランクがあった選手である。昨年5m50まで記録を戻していたが、今回の日本選手権が完全復活の舞台になった。

●2度の手術で長期間低迷も「やめないでよかった」

 インタビューエリアに来た江島から最初に出た言葉が、「やめないでよかった」だった。そう実感できたのも、日本選手権の勝負に充実感があったからだろう。

 5m60のバーには江島、来間弘樹(ストライダーズAC)、澤慎吾(きらぼし銀行)、山本聖途(トヨタ自動車)、石川拓磨(東京海上日動CS)と、5人もの選手が挑んだ。その展開に「痺れましたね」と江島は感じていた。

「5m50を3回目に跳んでも2位でしたし、5m60を3回目に跳んで、(暫定1位でも)勝ったわけじゃないのに涙が出てきました。5m60跳んだのも3年ぶりでしたし。その後に気持ちを入れ直して5m70を一発で跳ぶことができたので、ほんとに国立(競技場)のパワーってあるな、と思いました。色んな人たちが応援に来てくれていましたから」

 5m70はこの日競り合った石川が、21年にマークした東京記録とタイ記録でもあった。

 5m70を6年間も跳べていなかったことに加え、直前に肉離れをして、不安を抱えながらの試合だったことも江島の感動を大きくした。

「5m70はもう跳べないじゃないか、と不安に感じていた時期もありましたし、1~2週間前に軽度の肉離れをしてあきらめかけました。注射を打って、ジョギングを再開できたのも一昨日でした。あきらめないで今やるべきことに集中して、今日みたいな結果を出すことができたんです。自分でもすごく成長できたと思います」

 手術によるブランクで一時は体重が7kg落ちたが、そこから8~9kg増えた。

「今は体も大きくなったし、助走速度も上がりました。5m50と60は3本目でしたが、空中で焦らず振り上げがでた点は良かったと思います。5m70は余裕がありましたし、5m82(世界陸上標準記録)はアドレナリンが切れてしまいましたが、1本はしっかり振り上げられたので、次につながると思います」

 江島は日本選手権の結果で、5m59の世界陸上開催国枠エントリー設定記録を突破した。また、Road to Tokyo 2025(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)で36人の出場枠には入っていないが、江島は日本人最上位に浮上した。今後5m82の標準記録を跳べばその時点で世界陸上代表入りが確定するが、標準記録突破者とRoad to Tokyo 2025で36位以内に入る選手が現れなければ、江島が代表入りする。

●ノビシロが大きい江島の「陸上第2章」

 日本選手権の江島が使用したポールは長さが16フィート9インチ(5m10)で、硬さを示すフレックス(数字が小さい方が硬い)が13.7。6年前の5m71は同じ長さでもフレックスが14.3だった。当時より硬いポールを使ってほぼ同じ高さを跳んだ。

「この脚の状態でも使えたので、もっと硬いポールを買っておかないといけません」

 5m70を世界陸上で跳んでも、前回のブダペストでは予選落ちとなる。しかし5m75なら予選を通過できるし、決勝で5m75を跳べば入賞できた。

 19年は8月に5m71を跳んだが、9月のドーハ世界陸上は5m45で予選落ちした。21年東京五輪も5m30と、良いところを見せることなく敗退した。

 だが今年の5m70には、ノビシロをはっきりと感じている。江島は以前の状態に戻るのではなく、「陸上第2章」だと位置付けて、新たな自分を見せようとしている。

「今日が手術後の最高記録ですし、ここから始まるんです。硬いポールも使えたので、(1cm自己新の)5m72とかではなく、しっかり5m80、(世界陸上標準記録の)5m82を跳びたい。世界で戦うためには澤野(大地)さんの偉大な日本記録(5m83)も、超えていかないといけません」

 江島はケガをしている間に「なんで陸上をやっているか」を何度も自問自答した。「陸上を通して友だちにも出会うことができたし、お世話になってきたコーチたち、自分のやりたいことを支えてくれた人たちに、競技で恩返しするしかないと思いました。そのためにも日本記録を出したいんです。そしてもう一度日本代表のユニフォームを着ることで、子どもたちやケガで苦しんでいる人たちに、時間はかかっても諦めなければ戻って来られることを伝えたい」

 まだ出場は決まっていないが、9月に国立競技場のピットに再び立ったとき、江島は自身の内側から大きな力が湧き出ていることを感じているはずだ。

執筆者】 : 寺田辰朗          【執筆者のWEBサイト】 : 寺田的陸上競技WEB