今年の陸上競技日本一を決める日本選手権が7月4~6日、東京・国立競技場で男女34種目が行われた。男子三段跳は16年のリオ五輪代表だった山下航平(ANA)が、16m67(+0.4)の今季日本最高記録で6年ぶり3度目の優勝を飾った。16m67は、9月開催の東京2025世界陸上開催国枠エントリー設定記録とまったく同じ。記録以外にもいくつかの条件が整う必要があるが、山下に代表入りの可能性が出てきた。自己記録は16年に跳んだ16m85(-1.1)だが、21~23年のシーズンベストは15m台だった。山下が復活できた理由は何だったのか。

●“ジャスト開催国枠記録”で生じた世界陸上代表入りの可能性
記録が出にくいコンディション、と競技開始当初は思われた。1回目の試技で16mを越えたのは安立雄斗(福岡大院)の16m15(+0.2)だけ。2回目も試技順16番目の山下の前に16mを越えたのは、安立の16m16(-0.2)だけだった。
しかし山下の2回目の跳躍は明らかにレベルが違った。16m67(+0.4)と、2位を大きく引き離す記録でトップに立つ。16m67は今季日本最高であり、山下にとっては16年に出した16m85(日本歴代8位)に次ぐセカンド記録、そしてジャスト世界陸上開催国枠エントリー設定記録でもあった。
「リオ五輪の参加標準記録も16m85でした。16年を思い出して“自分らしいなあ”と思いました」
同じ“ジャスト記録”ではあったが、その記録を跳ぶプロセスは大きく違ったはずだ。今回の跳躍について山下は、次のようにコメントしていた。
「今日は開催国枠設定記録を跳ぶ、と決めていました。その記録を出すためにどういうパフォーマンスをしなければいけないか、そのためには技術的、体力的に何が必要かを考え、今の自分に何が足りていないのかを洗い出しました。ギャップを埋めてなんとか来られたことで跳べた記録です」
記録を出すプロセスをしっかり踏んだのが今回の16m67だった。それに対し16年の16m85は、俗に言う“出ちゃった記録”だった。17mを目指してはいたが、当時の山下の自己記録は16m06である。助走の速い“スピード型”の選手は記録が安定しないこともあるが、山下もそのレベルの記録を再現することができなかった。
そもそも開催国枠設定記録と標準記録(東京世界陸上は17m22)では、大きな違いがある。他の日本選手が誰も標準記録を跳ばないこと、Road to Tokyo 2025(標準記録突破者と世界ランキング上位者を1国3人でカウントした世界陸連作成のリスト)で出場枠の36位以内に入らないことが、開催国枠設定記録が適用される前提条件になる。さらに同じ開催国枠によるエントリーでも開催国枠設定記録より、Road to Tokyo 2025の出場枠人数に、10を加算した順位内の日本人最上位選手の方が優先される。
こうした条件が色々と付くが現時点では、Road to Tokyo 2025が47位の安立と、開催国枠設定記録を出した山下が、代表入りに近い位置にいることは確かである。

●父親の日本記録の“呪縛”が解けたことで再浮上
山下の父親は17m15の日本記録保持者、山下訓史である。86年に出された17m15は、五輪&世界陸上種目では最古の日本記録。山下が三段跳を始めたのは「“父の記録を自分が抜くんだ”という思いがあったから」だ。
山下の15年以降のシーズンベストは以下のように推移してきた。
15年・16m06
16年・16m85
17年・16m13
18年・16m59
19年・16m45
20年・16m10i
21年・15m80
22年・15m92
23年・15m65
24年・16m02
25年・16m67
自己記録を更新できなかったが18、19年は日本選手権に2連勝し、18年はアジア大会、19年はアジア選手権の代表入りを果たしている。しかし21~23年は15m台しか出すことができなかった。
「19年以降は17mが見えなくなりました。故障があったことも絡んでいますが、足元が見えていませんでしたね。トレーニングの組み立て方や、試合に臨むときの心の準備などが、どんどん裏目に出てしまいました。故障を抱えて17mを跳べるわけがないのに専門的な跳躍練習をやったり、スプリント練習をガンガン走って、やらなきゃ、やらなきゃと無理をしていたんです。故障は治らず、試合に出ても当然記録は出ない、ということを繰り返していました。父がどんな練習をしていたのか、映像もそんなに残っていないのでよく知らないのですが、17m15の呪縛みたいなのを自分で作り出して、それにとらわれていた部分はありました」
22年11月からはフルタイム勤務になり、競技から「1年くらい離れていた」時期もあったが、それが良い方向に向かうきっかけになった。「それでも自分は(三段跳を)やりたい思いがありましたし、技術的にも体力的にも“やれるぞ”という気持ちを確かめられました」
父の日本記録更新を、生涯の目標としていることに変わりはない。気持ちの部分のアプローチを変えることで、トレーニングで無理をしないようになった。
「記録を求めすぎてしまう欲はもう捨てて、今やれることをやりきろう、くらいの気持ちで臨んでいて、それが結果的に良かったのだと思います。数字にとらわれすぎずに、トレーニングの成果をしっかり出したらどんな記録が出るだろう、くらいの気持ちでやっています」
跳躍の技術も以前とは「全然違う」という。
「助走を走るにしても、三段跳で遠くに跳ぶにしても、前に進まないと始まりません。そこが基本的なところです。例えば地面に大きな力を加えたいから、前の方で脚をさばいて、ガンガン地面を捉えていくことをしていましたが、それが逆にブレーキになっていました。頑張って進もうとしているのに進まない。そこをあるきっかけで転換して、前に進めることに気づきました。そのためにはどうすればいいかを考えて、今日はそれがある程度発揮できたと思います」
山下のセカンド記録は、そこに至るプロセスの違いを考えると、9年前の自己記録よりも今後が期待できる。日本選手権は“ジャスト”開催国枠設定記録だったが、今後は着実に17mに近づいていくだろう。
【執筆者】 : 寺田辰朗 【執筆者のWEBサイト】 : 寺田的陸上競技WEB
